右投右打
1956年10月5日生まれ
台湾出身
華興高-輔仁大-台湾陸軍-中日
台湾の少数民族アミ族の出身。
1969年にリトルリーグの台湾代表として来日し、極東リーグで優勝する。
1981年7月中日に入団。翌年9勝7敗の活躍で新人王候補であったが、結局津田恒美(広島)が獲得。
1983年から4年連続2桁勝利をあげるが、10勝しても10敗する投手。
転機は1987年。この年就任した星野監督にその熱い性格を買われリリーフに転じると、 4勝26Sで最優秀救援投手を獲得。
翌年も7勝37Sで優勝に貢献し、MVPを獲得。 5月13日対巨人戦では、15年前に江夏豊(阪神)が中日戦で放って以来の投手によるサヨナラホームランを放つ。
1989年9月には日本に帰化。 1992年開幕投手をつとめる。 1994年100勝100Sを達成。防御率も2.45でタイトルを獲得。
1996年日本球界を引退して帰国。台湾の統一に入団。 1998年和信に移籍。
1999年シドニー五輪予選では日本国籍ながら、台湾チームに参加。 42歳にもかかわらず韓国戦では先発投手として登板し、最強チームといわれた韓国を5回2失点に抑えた。
引退後は日本球界と台湾球界との架け橋として活躍。名古屋市内に中華料理店を経営。
投手成績
| 年度 |
ポジション |
登録名 |
所属 |
背番号 |
登板 |
勝利 |
敗戦 |
S |
奪三振 |
投球回 |
防御率 |
同順 |
| 1981 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
30 |
6 |
1 |
2 |
0 |
17 |
21.1 |
6.43 |
-- |
| 1982 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
30 |
34 |
9 |
7 |
0 |
132 |
176.0 |
3.48 |
16 |
| 1983 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
30 |
32 |
10 |
10 |
0 |
159 |
213.1 |
3.75 |
10 |
| 1984 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
30 |
34 |
13 |
11 |
0 |
177 |
216.0 |
3.25 |
5 |
| 1985 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
30 |
34 |
11 |
11 |
3 |
157 |
230.1 |
3.48 |
5 |
| 1986 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
30 |
11 |
10 |
0 |
127 |
177.1 |
3.65 |
13 |
| 1987 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
59 |
4 |
3 |
26 |
70 |
98.0 |
1.56 |
-- |
| 1988 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
61 |
7 |
6 |
37 |
94 |
111.0 |
1.95 |
-- |
| 1989 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
42 |
5 |
3 |
25 |
69 |
74.0 |
2.31 |
-- |
| 1990 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
22 |
2 |
6 |
0 |
57 |
67.1 |
5.21 |
-- |
| 1991 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
33 |
13 |
9 |
2 |
95 |
163.0 |
2.71 |
3 |
| 1992 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
18 |
4 |
3 |
0 |
54 |
90.0 |
3.00 |
-- |
| 1993 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
39 |
3 |
9 |
17 |
78 |
107.2 |
3.43 |
-- |
| 1994 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
21 |
8 |
7 |
2 |
85 |
139.1 |
2.45 |
1 |
| 1995 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
26 |
5 |
8 |
4 |
40 |
80.2 |
4.02 |
-- |
| 1996 |
投手 |
郭源治 |
中日 |
33 |
5 |
0 |
1 |
0 |
4 |
5.2 |
3.18 |
-- |
|
中日通算成績:
在籍16年:
実働16年
|
496 |
106 |
106 |
116 |
1415 |
1971.0 |
|
|
|
生涯通算成績:
在籍16年:
実働16年
|
496 |
106 |
106 |
116 |
1415 |
1971.0 |
|
|
タイトル・主な記録(中日のみ)
MVP(
1988年
)、
最優秀防御率(
1994年
)、
最優秀救援投手(
1987年
、
1988年
)、
最多セーブ(
1987年
、
1988年
)、
最多投球回(
1985年
)、
最多被本塁打(
1985年
)、
オールスター(
1982年
、
1984年
、
1988年
、
1991年
)、
シリーズ優秀選手(
1988年
)
メッセージの入力
ドクターペッパーさん
2011/04/15 10:53:01
9月病で15勝を達成できなかったね。
エースさん
2010/10/08 02:19:53
オリンピックのアジア予選だったのかな、延長で登板予定だったみたいで、勇姿をみたかったが、見方のエラーで9回に決着がついてしまいました。
あいつさん
2010/04/15 14:53:25
大胆でかっこよかった
踊る守護神さん
2009/02/09 00:41:38
今改めて当時の郭ダンスを見ると派手なガッツポーズなだけで決してダンスでは無いような…躍動感はあるけどね。
ドラドラ2006改め2009さん
2009/01/20 01:35:26
「どうしたんでしょう。郭が泣いています。マウンド上で郭がもう泣いています。」これは1988年セリーグ優勝時の名実況・吉村功さんの名台詞ですね。なんだか懐かしいです。
ひでさん
2007/06/08 14:26:00
僕がドラゴンズフアンになったのは郭源治さんがきっかけです。
彼は過去最高のストッパーです。
よしさん
2007/03/09 21:39:13
88年優勝時のマウンドで秦選手を三振に取る前から涙ぐんでいる姿にもらい泣きしました。
イジョンボムの何かさん
2007/01/17 18:52:23
あの熱さは今の投手には簡単には真似できない
Coronaさん
2006/09/20 08:28:36
郭源治=火消し がまだ確立していない頃、甲子園で阪神線を観戦していた。回も押し詰まった頃、阪神の反撃が始まりリードも僅少差に。先発が降り、リリーフが告げられる頃は、スタジアム中がタイガース応援で一色だった。そのとき「中日のピッチャーは郭、背番号33」とアナウンス。すると甲子園がし~ん。「ごっついのだしてくるなぁ」 その後は安心して観戦したのは言うまでもない。
ドラドラ2006さん
2006/09/10 01:48:41
中日の抑えと言えば「100勝100S」郭源治に決まっとるて!88年優勝の立役者の一人。そして胴上げ投手ですもん。優勝の決まったヤクルト戦の最後のガッツポーズは当時四歳の僕の目にしっかり焼きついていましたよ!!
godhandさん
2006/08/13 08:44:55
真のファイアマン!
屋根の上の牛さん
2006/08/02 01:34:48
90年頃かなぁ、水道橋の居酒屋で偶然お会いした、「郭投手ですよねー」「えぇ~?チガイマスヨ~」この明るさがいいんだな、しっかり握手してもらいました。
吉口陽介さん
2006/05/24 22:18:07
ゲームセットでの郭ダンスは皆さんご存知ですよね。
よこさん
2006/04/15 22:54:17
郭さんにお会いしたくて先日お店をたずねました。握手していただいた手がとても大きくて、ここからあのボールが繰り出されたかと思うと、数々の思い出が頭をよぎり感動で涙があふれてきました。
ハシさん
2005/10/16 18:02:58
暴投が多かったのが記憶にあるんですが...。でもそれは、速球投手の宿命ですもんね。でも郭投手がサヨナラホームランを打ったのはしっかり覚えています。
福岡さん
2005/07/10 01:43:21
郭投手の熱い投球は、星野野球の象徴だったと思います。引退の挨拶には泣けました。今でも自分の中で伝説の投手です。
Y.Aさん
2005/06/24 16:04:06
先日、お店におじゃましました。全然変わっていませんね。
Zさん
2005/04/16 00:43:04
星野監督はかく語りき俺の采配でハマったのは2つだけ1つは6番山崎、7番大豊の打順もう1つはストッパーに郭を指名したこと
げんじぼたるさん
2005/04/13 08:07:52
胴上げ投手
津軽さん
2004/10/28 23:36:30
私だけでなく、私の母上も大のファンでした。「どうして、お前は郭のようにほりの深い顔立ちじゃないの!」顔のダメだし。それは、母上似だからです。
いなかっぺさん
2004/04/27 16:18:20
永遠のヒーロー!炎のストッパー!ドラゴンズファイヤー!