右投右打
1934年1月12日生まれ
福岡出身
明善高-リッカー-東映-立正佼成会-中日
1953年東映にテスト入団したが、登板はなし。2年で社会人に戻る。
1964年29歳で中日に入団。
1967年最多勝と沢村賞を戴冠。
1969年6月15日、後楽園対巨人戦では王に対して前代未聞の背面投げをみせた。
だが、1970年6月オートレース八百長事件で永久追放となる。
投手成績
| 年度 |
ポジション |
登録名 |
所属 |
背番号 |
登板 |
勝利 |
敗戦 |
S |
奪三振 |
投球回 |
防御率 |
同順 |
| 1954 |
投手 |
小川健太郎 |
東映 |
39 |
一軍登板なし |
| 1955 |
投手 |
小川健太郎 |
東映 |
39 |
一軍登板なし |
| 1964 |
投手 |
小川健太郎 |
中日 |
59 |
9 |
0 |
1 |
|
|
24.1 |
4.50 |
-- |
| 1965 |
投手 |
小川健太郎 |
中日 |
13 |
55 |
17 |
9 |
|
|
215.1 |
2.43 |
10 |
| 1966 |
投手 |
小川健太郎 |
中日 |
13 |
45 |
17 |
11 |
|
|
234.0 |
2.19 |
5 |
| 1967 |
投手 |
小川健太郎 |
中日 |
13 |
55 |
29 |
12 |
|
|
279.2 |
2.51 |
6 |
| 1968 |
投手 |
小川健太郎 |
中日 |
13 |
40 |
10 |
20 |
|
|
217.1 |
3.28 |
14 |
| 1969 |
投手 |
小川健太郎 |
中日 |
13 |
44 |
20 |
12 |
|
|
252.0 |
2.68 |
10 |
| 1970 |
投手 |
小川健太郎 |
中日 |
13 |
5 |
2 |
1 |
|
|
31.2 |
1.69 |
-- |
|
中日通算成績:
在籍7年:
実働7年
|
253 |
95 |
66 |
|
|
1254.1 |
|
|
|
生涯通算成績:
在籍9年:
実働7年
|
253 |
95 |
66 |
|
|
1254.1 |
|
|
タイトル・主な記録(中日のみ)
沢村賞(
1967年
)、
最優秀投手(
1967年
)、
最多勝(
1967年
)、
ベストナイン(投手)(
1967年
)、
最多敗戦(
1968年
)、
最多投球回(
1967年
)、
最多被本塁打(
1969年
)、
最多与死球(
1969年
)、
最多失点(
1968年
)、
ファーム最高勝率(
1964年
)、
ファーム防御率(
1964年
)、
オールスター(
1966年
、
1967年
、
1968年
、
1969年
)
メッセージの入力
滋賀どらさん
2010/08/09 20:47:07
最下位になった1968年。赤のノースリーブにDマーク
のユニホーム、カッコよかったなあ。10勝20敗
負けっぷりも潔かった。江藤外野手とともに、職人らしい
選手でした。高木、中も好きですが、過去のドラ戦士を語る上で、忘れてはいけない選手です。
ドラきちさん
2010/06/28 18:31:27
最近、角界の「黒い霧」が騒がれておりますが・・。
小川健太郎さんはギャンブルはお好きだったようですが断じて!野球賭博にはかかわっておられなかったと裁判も起こされていたとお聞きしました。
研究熱心で王選手に対して「背面投げ」まで編み出すほど敵を倒す闘争心に満ち溢れていた貴男がご自分のプライドの源である野球で不正をしていたなどと私も信じておりません。
小川さん、生まれ変わったらまた素晴らしい野球選手になってくださいね。
ドイツさん
2009/07/12 20:47:22
隠れたところでの猛烈な鍛錬と見事なパフォーマンス。戦後日本プロ野球史に残るプロ中のプロの一人だったと思います。ああいう止め方をしたのも、本人には気の毒だけれども、かえって伝説になって良かったのかも。
udaさん
2009/04/11 23:02:44
私も30数年前の子供のころ、近所にお住まいになられていた小川さんに、少し教えていただきました。小学校の野球部の練習時にふらっとこられ、フライを補球する練習では、球が見えないくらい高くノックで打ち上げられ、小学生の私は、必死になって球を追っていました。こわい雰囲気もありましたが、ニヤッと笑って「こうやって補球するんだよ」と、やさしい笑顔も記憶に残っております。
小川さん、ありがとうございました。
ドラクエさん
2008/10/31 23:34:13
古き良き高度成長時代の日本のプロ野球界であのONに立ち向かった中日の異色のエース。
賭け事が大好きで稼いだカネはほとんどギャンブルに消えちゃってたらしい。
一方その練習ぶりはまじめでその頃ほとんどやってる人もいなかった筋トレを身銭を切って一生懸命やっていたらしい。
その甲斐があって1シーズン29勝、沢村賞というような輝かしい成績を残せたのだろう。
「破滅型の天才」という言葉が似つかわしい異色の個性派投手だったと思う。
dawase86さん
2008/07/12 20:31:29
個性の塊のような投手。
一度も目にしたことがない背面投げを見てみたかった。
(見てみたいです)
ビレトニコフさん
2008/04/18 12:43:57
当時、最強だった巨人相手に奮闘。王のタイミングをずらそう
と考えた背面投げ。今のプロにこんな人がいれば・・・
かつて「ちらし寿司投法」などとほざいた江川とは大違いだ。
野球大好きさん
2008/04/17 11:39:34
私の会社には小川投手の息子さんがいらっしゃいます。彼も社会人野球出身で投手でした。彼の父親が中日の大エース小川投手であったことを今日知り、このサイトにアクセスしました。30歳で新人王を取られたようですが、この年になって恥ずかしいからと受賞を辞退されたとも聞きました。
takeさん
2006/09/28 02:00:20
小川健太郎さんに、小さい頃野球を教わっていました。すごくやさしいおじさんでした!ありがとう!
;さん
2006/08/17 19:55:39
対王貞治の背面投げが印象的な投手だが、股の下から球を放るという股下投げも練習していたと言う。コントロールは股下投げの方が断然良く、あの、オートレース八百長事件さえなければ股下投げも見れたかもしれない。
フィールド・オブ・ドリームスさん
2006/07/06 18:28:19
破滅型の天才投手・小川健太郎。その意外な素顔は「もう一つのフィールド・オブ・ドリームス(副題:伝説のエース・小川健太郎物語)に詳しい。何と言う個性!小川健太郎よ、永遠に・・。
匿名希望さん
2006/07/03 19:31:13
「黒い霧事件」では西鉄の池永ばかりが同情を買っていたけれど小川健太郎さんも生け贄にされた口だと思う。つくづく残念。平成7年に61歳で亡くなったそうですが、ご冥福をお祈りしたい。
とくめいさん
2006/06/06 23:40:25
小川投手と言えば「背面投げ」。昭和44年6月15日、後楽園球場、対巨人戦。三回裏二死打者は王貞治二ストライク後にその球は初めて投げられた。
吉口陽介さん
2006/05/24 21:51:19
30歳で復帰した球史に残る個性派のアンダースロー。
ogawaさん
2005/12/28 13:32:13
子供の頃のヒーローです。彼のおかげで関西在住なのに中日ファンに。依頼、苦難のマイノリティーです。野球界に於ける数少ないファンタジスタ!
あららさん
2005/12/05 16:34:56
ほとんど人身御供だったみたいですね。見たかったな。
匿名希望さん
2005/09/15 21:12:02
昭和40年代のドラゴンズの大エースでありとてもユニークな個性を持った投手でした。「背面投げ」、一度見てみたかったです。
ゆたりんさん
2005/04/27 00:53:32
1967年は30勝へ後一歩、惜しかったです。 黒い霧事件はショックでした。