右投右打
1959年7月6日生まれ
奈良出身
五条中-天理高-巨人-西武-中日-西武
打撃成績
| 年度 |
ポジション |
登録名 |
所属 |
背番号 |
試合 |
打数 |
安打 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
打率 |
同順 |
| 1978 |
内野手 |
鈴木康友 |
巨人 |
5 |
一軍出場なし |
| 1979 |
内野手 |
鈴木康友 |
巨人 |
43 |
一軍出場なし |
| 1980 |
内野手 |
鈴木康友 |
巨人 |
43 |
39 |
20 |
2 |
2 |
2 |
0 |
.100 |
-- |
| 1981 |
内野手 |
鈴木康友 |
巨人 |
43 |
11 |
5 |
1 |
0 |
1 |
0 |
.200 |
-- |
| 1982 |
内野手 |
鈴木康友 |
巨人 |
25 |
45 |
52 |
10 |
1 |
3 |
0 |
.192 |
-- |
| 1983 |
内野手 |
鈴木康友 |
巨人 |
25 |
77 |
149 |
41 |
5 |
18 |
0 |
.275 |
-- |
| 1984 |
内野手 |
鈴木康友 |
巨人 |
25 |
85 |
126 |
24 |
3 |
9 |
3 |
.190 |
-- |
| 1985 |
内野手 |
鈴木康友 |
西武 |
38 |
13 |
14 |
4 |
0 |
1 |
2 |
.286 |
-- |
| 1986 |
内野手 |
鈴木康友 |
中日 |
37 |
119 |
368 |
86 |
11 |
30 |
3 |
.234 |
30 |
| 1987 |
内野手 |
鈴木康友 |
中日 |
37 |
79 |
97 |
18 |
0 |
6 |
3 |
.186 |
-- |
| 1988 |
内野手 |
鈴木康友 |
中日 |
37 |
15 |
26 |
6 |
1 |
2 |
1 |
.231 |
-- |
| 1989 |
内野手 |
鈴木康友 |
中日 |
37 |
80 |
100 |
22 |
0 |
9 |
3 |
.220 |
-- |
| 1990 |
内野手 |
鈴木康友 |
中日 |
37 |
一軍出場なし |
| |
内野手 |
鈴木康友 |
西武 |
12 |
65 |
83 |
18 |
1 |
7 |
0 |
.217 |
-- |
| 1991 |
内野手 |
鈴木康友 |
西武 |
12 |
27 |
19 |
4 |
0 |
1 |
2 |
.211 |
-- |
| 1992 |
内野手 |
鈴木康友 |
西武 |
12 |
33 |
23 |
8 |
0 |
2 |
0 |
.348 |
-- |
|
中日通算成績:
在籍5年:
実働4年
|
293 |
591 |
132 |
12 |
47 |
10 |
.223 |
|
|
生涯通算成績:
在籍15年:
実働12年
|
688 |
1082 |
244 |
24 |
91 |
17 |
.226 |
|
タイトル・主な記録(中日のみ)
最多犠打(
1986年
)
メッセージの入力
安友さん
2012/01/02 19:13:03
中日時代に開幕前の紅白戦で投手にデッドボールをぶつけられた康友サンが、「この野郎!」と叫びながらマウンドへ突進しておきながら寸前で向きを変えて1塁に向かったギャグプレー・・印象的でした(笑)。あとレギュラー寸前のスーパーサブ選手としか覚えてなかったのですが、中日移籍1年目の1986年は規定打席に達していたんですね。
ドラッグスターさん
2010/11/29 04:28:12
移籍当初もシーズン中も、やたらと絶賛されとったな。
尾上、藤王がどうにもならんかったから、しゃあないけど。
巨人ファンの友達からさんざん馬鹿にされたよ。
「巨人で使い物にならんかったヤツが、すぐに英雄になれる田舎球団」って。
パイナップルさん
2009/01/25 11:13:55
まずまずの半試合でしたね。序所のトレードで。
コナンさん
2008/11/20 23:26:53
「巨人からスゲー選手が来た」と記憶していましたが、その前に西武にいたんですか?
バントを決めただけで評論家たちは「さすが」と褒めまくっていたような。
野武士軍団は確かにバントが下手だったけど...。
haruさん
2008/03/03 18:35:28
1986年はサード争い(藤王、仁村、前原、尾上)のさなかトレードで獲得され、レギュラーに。
冴えないチームの中で輝いてましたが、結局.234。
Maxでこれくらいの選手とわかってしまったのかも知れません。。
つゆはしさん
2008/03/01 13:27:33
暗黒の1986年にひとり気を吐いてくれました
おじゃさん
2005/10/20 04:01:51
星野監督の「立浪高卒ルーキースタメン育成計画」の煽りを受け、宇野セカンド仁村サードへ。結局はじき出された格好の康友さん。あの頃、少々気の毒に感じていました(立浪は見事大成しましたけど)。いつもレギュラーを掴めそうで掴めない選手でしたが、控え野手としては代打に守備固めにと貴重な戦力でしたね。