1970年代、後にドラゴンズに入団する選手で甲子園を沸かせたのは
3人の投手であった。
一人目は土屋正勝。
土屋が最初に甲子園のマウンドを踏んだのは2年生、1973年春だったが初戦に16失点で敗退する。
続けてその年の夏も連続出場し、初戦は完封勝ち。
2回戦は作新学園・怪物江川と投げあい、スコア0-0で迎えた延長12回に
サヨナラ押し出し四球で競り勝つ名勝負を演じた。
翌春も出場し、ベスト8。
そして夏。4季連続の甲子園。
初戦のPL学園戦で1失点の快勝。
2回戦を完封勝利、そのまま決勝まで無失点、優勝投手となった。
優勝時、2年生篠塚利夫(巨人)がチームメイトであった。
二人目は小松辰雄。
1976年夏、豪速球を引っさげベスト4に進み、長崎海星サッシーこと酒井圭一とともに
旋風を巻き起こし、後の「スピードガンの申し子」の片鱗を見せた。
高校生ながら終速は140kmを超えていたという。
三人目は牛島和彦。
後に南海に入るドカベン香川とバッテリーを組み、1979年春に決勝まで進むも
石井(西武)-嶋田宗(阪神)の箕島に敗れた。
夏にも再び出場したが、ベスト4で池田に敗退し涙を飲んだ。
その1979年夏、準決勝で敗退するまでのうち一番危なかった試合が
初戦、エース仁村徹率いる上尾との1戦であった。
試合は上尾2点リードでもはや9回二死。
そこで飛び出したのが牛島の起死回生同点2ラン。
仁村は延長で力尽きた。
野手に目を向けてみると、
中京商の栗岡英智。78年夏の甲子園に出場で、2試合連続本塁打を放った。
他は、
1977年春に優勝した箕島のセカンド上川誠二、
1970年春に準優勝した北陽のサード神垣雅行、
1979年春ベスト4のPL学園捕手山中潔ぐらいだろうか。
土屋の後輩で銚子商でスラッガーとして名を馳せた宇野勝も
1976年夏に甲子園に出場した。
島根の豪腕、江津工三沢淳は1970年春は初戦で前出の北陽に破れさった。
1972年春を制した日大桜丘のエース仲根正広も後中日に入団した。
静岡を席巻したのは1974年夏に甲子園に出場する静岡商の高橋三千丈であった。
地方大会記録として、今岡均が1976年夏予選で、岐阜南を相手にノーヒットノーランを達成した。
(コマンチ@管理人:2005/11/20)