読売のエースナンバー18に対してかどうかはいざ知らずドラゴンズのエースナンバーである「20」
投手として杉下茂が背負って以来、ドラゴンズのエースが代々背にしてきた。
49年に杉下が明大から入団。「20」を背負い8勝をあげる。翌50年の27勝から6年連続のチーム勝ち頭。文字通り大車輪の活躍で54年の日本シリーズを制し、59~60年は監督を務める。
その杉下の「20」を継いだのが、61年に入団した権藤博であった。
その背番号に負けることなくその年35勝を挙げ投手タイトルを総なめ。
翌年も30勝を挙げるが、投手生命は実質4年で尽き、その後は内野の控えとして活躍するが実質8年で現役生活を終える。
70年はこの年ドラフト2位の渡辺司に「20」が背負われるが、1年で3年目星野仙一に渡される。
その後引退するまで星野はエースナンバーを背負いつづけた。
欠番を1年置き、次のエースは7年目の小松辰雄である。
エースナンバーをつけた小松は後に最多勝等のタイトルを取ることになる。
その小松も94年に引退し、背番号を変えてコーチになると、またも1年欠番が生じる。
96年に新しく「20」を背負ったのが、韓国ナンバー1ストッパー宣銅烈である。
宣は4年間で100以上のセーブポイントを挙げ、99年の優勝では胴上げ投手となる。
またまた1年欠番の後、ヤクルトよりFAで川崎憲次郎を獲得。
01年は故障のため登板は0であった。
川崎には今までのエースに負けない、「20」に恥じない活躍を期待したいものである。
(コマンチ@管理人:2001/11/24)