| 1954年(昭和29年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
天知俊一
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| 二軍監督 |
宮坂達雄
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| 開幕投手 |
石川克彦
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| |
| 観客動員数 |
1,097,381人
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1試合平均 |
16,883人
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1954年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
日本シリーズ |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
中日 |
130 |
86 |
40 |
4 |
.6825 |
-
|
| 2 |
巨人 |
130 |
82 |
47 |
1 |
.6357 |
5.5
|
| 3 |
阪神 |
130 |
71 |
57 |
2 |
.5547 |
16.0
|
| 4 |
広島 |
130 |
56 |
69 |
5 |
.4480 |
29.5
|
| 5 |
国鉄 |
130 |
55 |
73 |
2 |
.4297 |
32.0
|
| 6 |
洋松 |
130 |
32 |
96 |
2 |
.2500 |
55.0
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前年暮天知俊一の監督復帰が決まった。
球団経営も名鉄が手を引き、「中日ドラゴンズ」に戻った。
また、この年も新人補強を積極的に進め、前年夏の甲子園優勝投手の空谷泰(松山商)、大矢根博臣(観音寺一)らの逸材を獲得する。
開幕から4連勝で好スタートを切ったドラゴンズ。
エース杉下は巨人戦中心。それに続くのが広島、洋松、国鉄に強い石川克彦。阪神戦は徳永喜久夫。他は空谷、服部受弘、大島信雄らとローテーションを確立して臨んだ。
杉下、石川で53勝を稼ぎ、チーム勝ち数の6割強を占め、二人が優勝の原動力となったことは間違いない。
杉下は巨人戦11勝5敗と脅威の勝ち星を挙げ、特に8月中旬、首位に立ったときには7試合連続登板をし、39回1/3をわずか失点2。また9月10日の対巨人ダブルヘッダー(後楽園)では、連投で一日2勝を挙げるなどし、投手のタイトルを総なめにした。
打線では、本多逸郎、児玉利一、杉山悟の主力が揃って故障し、軸の西沢道夫も不振とあって低調だったが、7月頃から西沢が復調。それに刺激され打線も好調となり投打ががっちりとかみ合った。
10月19日にマジック1の状態で移動日に巨人が阪神に敗れ、優勝が決まった。
日本シリーズは初優勝同士の西鉄との対決となった。
初戦、先発は杉下-西村、児玉の2ランなどで快勝。
2戦目、石川克-杉下のリレーで完封勝ち。
3戦目、大島、徳永が5失点の完封負け。
4戦目、杉下が3点に抑えるも完封負け。
5戦目、杉下の依願登板で3-2の辛勝。
6戦目、石川克先発も逆転負け。
7戦目、杉下の奮闘で完封勝ち。
杉下茂が登板5試合、先発完投4試合、3勝1敗で文句なしのMVP獲得であった。
(コマンチ@管理人:2001/12/31)