| 1957年(昭和32年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
天知俊一
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| 二軍監督 |
近藤貞雄
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| 開幕投手 |
伊奈努
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| 観客動員数 |
1,112,000人
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1試合平均 |
17,108人
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1957年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
130 |
74 |
53 |
3 |
.5808 |
-
|
| 2 |
阪神 |
130 |
73 |
54 |
3 |
.5731 |
1.0
|
| 3 |
中日 |
130 |
70 |
57 |
3 |
.5500 |
4.0
|
| 4 |
国鉄 |
130 |
58 |
68 |
4 |
.4615 |
15.5
|
| 5 |
広島 |
130 |
54 |
75 |
1 |
.4192 |
21.0
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| 6 |
大洋 |
130 |
52 |
74 |
4 |
.4154 |
21.5
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天知俊一が三度監督に返り咲いた。
キャンプ地も縁起を担いで、優勝した1954年と同じ奈良にてスタートを切った。
シーズンも快調にスタートを切り、4月は14勝5敗1分のハイペースで独走、その後も好調を維持し、前半戦を首位で折り返した。
後半戦も勢いは変わらず、8月11日には2位巨人に5.5ゲーム差をつけた。
しかし、それ以後投手陣に疲れが見え、打線も低調となり、6連敗と2度の3連敗。8月末には首位から転落した。
このきっかけとなったのが、8月21日国鉄戦ダブルヘッダーの第2試合。
この試合、金田正一に10三振の完全試合を喫する。最終打者の三振をめぐり抗議もあったが判定は覆らなかった。
ウェスタンリーグでは太田文高が4本で本塁打王を獲得した。
(コマンチ@管理人:2003/02/09)