| 1962年(昭和37年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
濃人渉
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| 開幕投手 |
柿本実
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| 観客動員数 |
844,750人
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1試合平均 |
12,799人
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1962年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
阪神 |
133 |
75 |
55 |
3 |
.5769 |
-
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| 2 |
大洋 |
134 |
71 |
59 |
4 |
.5462 |
4.0
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| 3 |
中日 |
133 |
70 |
60 |
3 |
.5385 |
5.0
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| 4 |
巨人 |
134 |
67 |
63 |
4 |
.5154 |
8.0
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| 5 |
広島 |
134 |
56 |
74 |
4 |
.4308 |
19.0
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| 6 |
国鉄 |
134 |
51 |
79 |
4 |
.3923 |
24.0
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前年に引き続き濃人トレード旋風が吹き荒れる。
森徹は大洋に、井上登は南海に、石川緑は阪神、児玉泰・吉沢岳男のバッテリーは近鉄と、それぞれ放出される。
だが、代わりに入団した選手で戦力になったのは半田春夫ぐらいであった。
トレード以外の入団ではドビーとニューカムの外国人コンビが6月にそろって入団。
開幕から2ヶ月間5割前後をうろうろしていたが、5月26日国鉄戦から 6月17日阪神戦まで11連敗のチームに合流すると、勢いは上昇に転じた。
それに伴い投手陣も息を吹き返す。
権藤博は昨年に引き続き30勝の大台到達。柿本実は20勝。
後半戦チームは36勝19敗と首位を猛追。
最終的に3位にはなったものの前半戦の不振があまりにも大きすぎた。
権藤は2年連続最多勝。河野旭輝は両リーグでの盗塁王を獲得する。
(コマンチ@管理人:2004/02/28)