| 1964年(昭和39年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
杉浦清
、西沢道夫
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| 二軍監督 |
杉山悟
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| 開幕投手 |
河村保彦
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| 観客動員数 |
767,000人
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1試合平均 |
10,957人
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1964年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
阪神 |
140 |
80 |
56 |
4 |
.5882 |
-
|
| 2 |
大洋 |
140 |
80 |
58 |
2 |
.5797 |
1.0
|
| 3 |
巨人 |
140 |
71 |
69 |
0 |
.5071 |
11.0
|
| 4 |
広島 |
140 |
64 |
73 |
3 |
.4672 |
16.5
|
| 5 |
国鉄 |
140 |
61 |
74 |
5 |
.4519 |
18.5
|
| 6 |
中日 |
140 |
57 |
83 |
0 |
.4071 |
25.0
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開幕前は優勝候補に挙げられるなど事前評価は抜群。
だが、いざ開幕してみると、開幕の大洋3連戦で合計30失点の大乱調で3連敗。
そのままチームは調子が上がらず、20試合消化時点で5勝15敗の借金10。
その後も全く事態は好転せず、6月7日の大洋ダブルヘッダー終了後に杉浦監督は休養。翌8日に西沢コーチの昇格が決定した。
監督が代わったといってもチームが変わるわけではない。
チームは落ちる一方で、一度5位にあがっただけで後は最下位を独走。
結局リーグ分裂後初の最下位に終わった。
だが、最悪のチーム状態の中にも光明はあった。
8月18日の巨人戦で中山俊丈が四死球2のノーヒットノーランを達成した。
また、江藤慎一が王(巨人)との激しいデッドヒートの上、首位打者を獲得。王の戦後初の三冠王を阻んだ。
ウェスタンリーグでは前岡勤也が盗塁王を獲得した。
(コマンチ@管理人:2004/04/28)