| 1965年(昭和40年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
西沢道夫
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| 二軍監督 |
杉山悟
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| 開幕投手 |
柿本実
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| 観客動員数 |
1,107,500人
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1試合平均 |
18,458人
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1965年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
140 |
91 |
47 |
2 |
.6594 |
-
|
| 2 |
中日 |
140 |
77 |
59 |
4 |
.5662 |
13.0
|
| 3 |
阪神 |
140 |
71 |
66 |
3 |
.5182 |
19.5
|
| 4 |
大洋 |
140 |
68 |
70 |
2 |
.4928 |
33.0
|
| 5 |
広島 |
140 |
59 |
77 |
4 |
.4338 |
31.0
|
| 6 |
産経 |
140 |
44 |
91 |
5 |
.3259 |
45.5
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代理監督の西沢道夫が正式に監督となった。
しかし、新年早々悲報が飛び込んでくることとなる。
素材抜群、3年目の飛躍が確実視されていた加藤斌が交通事故を起こし、若くして急逝する。
下馬評も前年の最下位とあって芳しくはなかった。
開幕直後にも江藤慎一が故障で戦線離脱するなど苦しい戦いが続いた。江藤は入団以来続いていた連続試合出場も809でストップする。
8月に入ってからチームに勢いが出てくる。
8月19日の巨人戦から9月5日の大洋戦まで破竹の14連勝。一気に2位まで浮上した。
だが、首位巨人は遠くそのまま2位でシーズンを終えた。
江藤は故障が癒えると打ちまくり、前年同様、王(巨人)との競り合いを制し2年連続の首位打者を獲得。
これまた前年同様に本塁打王、打点王の王貞治の三冠を阻止。
戦後初の三冠王はこの年、野村克也(南海)が記録することとなった。
また、山中巽、高木守道がそれぞれ2年ぶりのタイトルを獲得した。
(コマンチ@管理人:2004/04/28)