| 1968年(昭和43年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
杉下茂
、本多逸郎
|
| 二軍チーフ |
本多逸郎
|
| 開幕投手 |
小川健太郎
|
| |
| 観客動員数 |
865,400人
|
1試合平均 |
12,726人
|
1968年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
134 |
77 |
53 |
4 |
.5923 |
-
|
| 2 |
阪神 |
133 |
72 |
58 |
3 |
.5538 |
5.0
|
| 3 |
広島 |
134 |
68 |
62 |
4 |
.5231 |
9.0
|
| 4 |
産経 |
134 |
64 |
66 |
4 |
.4923 |
13.0
|
| 5 |
大洋 |
133 |
59 |
71 |
3 |
.4538 |
18.0
|
| 6 |
中日 |
134 |
50 |
80 |
4 |
.3846 |
27.0
|
|
年明けに西沢監督が十二指腸潰瘍悪化のため監督を辞任。後任には2度目となる杉下新監督。前年の勢いをベースにチーム改革に着手した。
計算できる貴重な左腕小野正一を大洋から、東映、阪急を抑えて獲得。また、クリーンアップの広野功を出してまで西鉄の主戦投手田中勉を獲得。さらに河村保彦とサンケイの徳武定之とのトレードも成立する。
計算のできる投手補強により4月20日から9連勝するが、その後8連敗とチームが勢いに乗れない。
前年最多勝の小川が不調でわずか10勝に終わり、前年首位打者の中も目の病気で61試合の出場に終わり、高木は死球からのケガで長期戦線離脱を余儀なくされる。
5月下旬から11連敗、6連敗と成績はどん底。
ついに6月25日に杉下監督が80日という短命で休養。後任には本多逸郎二軍チーフコーチが代理監督に昇格。
しかし、チーム状態はよくならず、その後も2桁連敗をするなどし、結局最下位に甘んじることになる。しかも球団創設以来初めて全球団に負け越してのものであった。
この年、夏用のノースリーブのユニフォームが登場した。色は黒と赤を基調にした派手なものであった。
しかし、選手のウケも悪くチーム成績も最悪で、縁起が悪いとのことでこの年限りで廃止となった。
(コマンチ@管理人:2001/11/17)