| 1972年(昭和47年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
与那嶺要
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| 開幕投手 |
水谷寿伸
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| 観客動員数 |
924,400人
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1試合平均 |
14,222人
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1972年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
130 |
74 |
52 |
4 |
.5873 |
-
|
| 2 |
阪神 |
130 |
71 |
56 |
3 |
.5591 |
3.5
|
| 3 |
中日 |
130 |
67 |
59 |
4 |
.5317 |
7.0
|
| 4 |
ヤクルト |
130 |
60 |
67 |
3 |
.4724 |
14.5
|
| 5 |
大洋 |
130 |
57 |
69 |
4 |
.4524 |
17.0
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| 6 |
広島 |
130 |
49 |
75 |
6 |
.3952 |
24.0
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水原の後を継いだのは、コーチから昇格した与那嶺要だった。
雨で一日延びた開幕阪神戦ダブルヘッダー。まずは6-3で開幕戦を取る。
続いて第二試合、1-2で1点ビハインドの9回裏。一死後にミラーが遊失で出塁。島谷がポテンヒットで同点。さらに満塁と攻め立て、最後はバートがサヨナラ満塁弾。そのまま6連勝と最高の開幕ダッシュを見せた。
しかし、その好調も投手陣の不調から長続きしなかった。
前半戦を終わって首位阪神には6.5ゲーム差の4位であった。
後半戦も一進一退。 9月になって5連勝、6連勝と勢いが出るも時すでに遅し。
3位に食い込みAクラスをなんとか確保した。
8月24日に事件は起こった。
巨人23回戦3回裏。夏休みでスタンドは超満員。
時間にして19時15分頃。中日球場にかかってきた電話は、「19時45分に三塁側内野スタンドに仕掛けた爆弾が爆発する」との内容だった。
三塁側観客・巨人ナインがグラウンドに避難し、警官、係員総出で爆弾を探したが見つからない。
結局何一つ起こらずに中断25分で20時3分に試合は再開された。
ウェスタンリーグでは、大隈正人が.380で首位打者、奥田和男が1.000で最高勝率のタイトルを獲得した。
(コマンチ@管理人:2004/12/18)