| 1974年(昭和49年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
与那嶺要
|
| ファームチーフ |
村野力男
|
| 開幕投手 |
星野仙一
|
| |
| 観客動員数 |
1,360,000人
|
1試合平均 |
20,923人
|
1974年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
日本シリーズ |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
中日 |
130 |
70 |
49 |
11 |
.5882 |
-
|
| 2 |
巨人 |
130 |
71 |
50 |
9 |
.5868 |
-
|
| 3 |
ヤクルト |
130 |
60 |
63 |
7 |
.4878 |
12.0
|
| 4 |
阪神 |
130 |
57 |
64 |
9 |
.4711 |
14.0
|
| 5 |
大洋 |
130 |
55 |
69 |
6 |
.4435 |
17.5
|
| 6 |
広島 |
130 |
54 |
72 |
4 |
.4286 |
19.5
|
|
この年巨人のV10を阻む、20年ぶり2度目の優勝を成し遂げた。
水原が蒔いた種を与那嶺が咲かした優勝である。
シーズンは開幕から好調を維持していた。
開幕10試合は7勝3敗。ライバルと見られていた阪神、巨人との対決も順調に制し、5月前半には首位に立つ。
快進撃の立役者は左右の両輪星野仙一、松本幸行と新外国人マーチンであった。
だが、5月14日のヤクルト戦で三重殺を食らうなどで調子は落ちていき、5月末には一時3位まで後退したが、その調子を上向かせる勢いが今シーズンにはあった。
象徴する試合が、6月28日の阪神戦である。2点ビハインドの9回裏二死一二塁で高木守道が逆転サヨナラ3ランを放ち、劇的に勝利をものにした。
前半戦は、首位阪神に1.5ゲーム差でピタリ追走する。
後半戦。与那嶺監督は、快速球の2年目鈴木孝政、左腕竹田和史の二人をダブルストッパーに回し、暑い夏場に対するテコ入れ。
鈴木は、8月6日7日の巨人戦に連日救援で登板。柴田、王、長嶋、高田などのV9戦士を三者三振になで切った。
打線も各選手が持ち味を発揮し、まさに総力野球で逆転に次ぐ逆転で勝利をモノにした。
9月28日巨人戦。大島康徳の起死回生同点本塁打で引き分けに持ち込み、マジック「12」が点灯。
しかし、その後が苦しむ。プレッシャーなのか星は白黒一進一退。マジックも点いたり消えたりを繰り返した。
10月12日、マジック「2」で地元に戻り、中日球場での対大洋ダブルヘッダー。
初戦は9-2で快勝、王手。続く試合も6-1でまたもや快勝、優勝を決めた。
最終的に2位巨人とはゲーム差0。きわどい優勝であった。
日本シリーズは金田監督のロッテが相手。
初戦と第3戦は獲るが、星野仙の不振、第4戦では高木が自打球を左足首に当て、全治3週間の骨折。結局4勝2敗で20年ぶりの日本一はならなかった。
ウェスタンリーグでも中日はリーグ制覇。伊藤泰憲が本塁打王、打点王の二冠。伊藤久敏が1.00で最優秀防御率を獲得した。
(コマンチ@管理人:2004/12/18)