| 1975年(昭和50年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
与那嶺要
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| 開幕投手 |
松本幸行
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| 観客動員数 |
1,674,000人
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1試合平均 |
25,754人
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1975年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
広島 |
130 |
72 |
47 |
11 |
.6050 |
-
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| 2 |
中日 |
130 |
69 |
53 |
8 |
.5656 |
4.5
|
| 3 |
阪神 |
130 |
68 |
55 |
7 |
.5528 |
6.0
|
| 4 |
ヤクルト |
130 |
57 |
64 |
9 |
.4711 |
16.0
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| 5 |
大洋 |
130 |
51 |
69 |
10 |
.4250 |
21.5
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| 6 |
巨人 |
130 |
47 |
76 |
7 |
.3821 |
27.0
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さしたる補強もせず、迎えたこのシーズン。
4月24日巨人戦の大島のサヨナラヒットで、前半戦を阪神に次ぐ2位につけていたドラゴンズ。7月末と8月初めに首位に上がるが、そのまま突っ走るだけの力はなかった。
抜け出したのは古葉監督の広島。山本浩、衣笠、外木場、佐伯らの活躍で後半戦直後から走り出した。
中日も9月に入ってから4連勝、7連勝と広島に激しく食い下がったが、エース星野仙一が右足首捻挫で戦線離脱するなどし、ついに抜くことはできず2位に終わった。
星野、鈴木とタイトルホルダーを出したが、惜しかったのはこの年打率2位に終わった井上であった。
広島の山本浩二が.319で全日程を終えており、井上は1厘差に着け最終戦の阪神戦を迎えた。
この試合1打数1安打、もしくは4打数2安打ならば逆転で首位打者となる。
阪神先発米田に対し、第1打席は遊ゴロ、第2打席は左中間タイムリー、第3打席は三振。
運命の第4打席、0-1からの2球目が近めに来た。打ち気満々の井上はよけ切れずに左足太もも当たりをかすめた。
山本球審は「死球」を宣告するが、井上は当たっていない、ファールだと主張。だが、判定は変わらず井上の首位打者は夢と消えた。
ウェスタンリーグでは白滝政孝が.322で首位打者となる。
(コマンチ@管理人:2001/12/12)