| 1976年(昭和51年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
与那嶺要
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| 二軍監督 |
森下整鎮
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| 開幕投手 |
星野仙一
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| 観客動員数 |
1,509,000人
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1試合平均 |
23,215人
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1976年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
130 |
76 |
45 |
9 |
.6281 |
-
|
| 2 |
阪神 |
130 |
72 |
45 |
13 |
.6154 |
2.0
|
| 3 |
広島 |
130 |
61 |
58 |
11 |
.5126 |
14.0
|
| 4 |
中日 |
130 |
54 |
66 |
10 |
.4500 |
21.5
|
| 5 |
ヤクルト |
130 |
52 |
68 |
10 |
.4333 |
23.5
|
| 6 |
大洋 |
130 |
45 |
78 |
7 |
.3659 |
32.0
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前年2位の中日は下馬評では優勝候補の一角に挙げられていた。ドラフトでは同志社大の田尾安志を1位で獲得する。
開幕当初、星野仙一、三沢淳、松本幸行、稲葉光雄でローテーションを組んだが、松本、稲葉が勝てず、エース松本は4月0勝2敗、5月2勝4敗と大誤算であった。
抑えのエース鈴木孝政がいるだけにもっと勝てそうなものの、出番前にゲームを壊されてしまっては元も子もない。
打線も高木守道が両足の肉離れによる欠場で98試合の出場に止まり、牽引役を失ったチームの勢いに影響した。
それでも6月中旬に広島と3位争いを演じ、ペナントレースに着いていくが、今度は頼みの綱の星野が右足肉離れを悪化させマウンドに上がれなくなってしまう。
そのままずるずると後退した中日は6年ぶりのBクラスに終わる。
勝ち越したのは下位のヤクルトと大洋の2カード。この年から人工芝となった後楽園での巨人戦に至っては、0勝12敗1分と1勝もできずに終わり、「人工芝恐怖症」とまで酷評された。
だが明るいニュースもあった。
主に3番を打った谷沢健一が張本勲(巨人)との激しいデッドヒートの末、3割5分4厘8毛で、わずか1毛差で首位打者のタイトルを手にした。
また、鈴木孝政がリリーフながら規定投球回に達し、最優秀救援投手と最優秀防御率のタイトルを獲得した。
新人王には打率.277の田尾が選ばれた。
そして、過去に4番を打っていた大島康徳が代打の切り札として大活躍。
代打本塁打は4月に1本、6月に4本の固め打ち。8月に入り6本目を放ち、阪急高井保弘の持つシーズン最多代打本塁打に並ぶと、同月10日ヤクルト会田から7本目を打ち、日本記録を樹立した。
ウェスタンリーグでは前年首位打者の白滝政孝が本塁打王となった。
(コマンチ@管理人:2001/12/22)