| 1977年(昭和52年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
与那嶺要
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| 二軍監督 |
服部受弘
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| 開幕投手 |
松本幸行
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| 観客動員数 |
1,456,000人
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1試合平均 |
22,400人
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1977年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
130 |
80 |
46 |
4 |
.6349 |
-
|
| 2 |
ヤクルト |
130 |
62 |
58 |
10 |
.5167 |
15.0
|
| 3 |
中日 |
130 |
64 |
61 |
5 |
.5120 |
15.5
|
| 4 |
阪神 |
130 |
55 |
63 |
12 |
.4661 |
21.0
|
| 5 |
広島 |
130 |
51 |
67 |
12 |
.4322 |
25.0
|
| 6 |
大洋 |
130 |
51 |
68 |
11 |
.4286 |
25.5
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人工芝恐怖症が尾を引き開幕の後楽園巨人戦は連敗。一つ勝っては連敗のパターンで4月は5勝12敗と低迷する。
チームが上昇に転じたのは8月に入ってからで、9月には不振の阪神を抜いて3位に浮上。
下位の阪神、広島、大洋には勝ち越したものの上位のヤクルト、巨人には負け越し。
特に巨人戦は、後楽園での2年越しの19連敗を含み、8勝17敗1分と散々な成績であった。
投手陣では星野仙一、鈴木孝政がともに18勝を挙げたものの、松本幸行が大誤算で4勝。
打線ではチーム打率.275と巨人に次ぐ2位で、3割打者が大島、谷沢、木俣と3人いたが、総得点は575点でリーグ5位と拙攻が続いた。
この年、現役大リーガーが中日入りした。ウィリー・デービスである。
36歳でさすがに全盛期は過ぎていたが、勝負強さは抜群で、5月14日の巨人戦(ナゴヤ球場)では満塁ランニングホームランを放つ。
8月2日の広島戦でフライを追ってフェンスに激突し、左手首を骨折して帰国。
この時点で25本塁打を打っていたため、その戦線離脱のダメージは大きかった。
鈴木孝政が2年連続で最優秀救援投手を獲得。
このシーズン終了後、与那嶺監督が退き、中利夫コーチが新監督に就任する。
ウェスタンリーグでは田野倉利男が本塁打王となった。
(コマンチ@管理人:2001/12/22)