| 1978年(昭和53年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
中利夫
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| 二軍チーフ |
井上登
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| 開幕投手 |
星野仙一
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| |
| 観客動員数 |
1,475,000人
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1試合平均 |
22,692人
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1978年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
ヤクルト |
130 |
68 |
46 |
16 |
.5965 |
-
|
| 2 |
巨人 |
130 |
65 |
49 |
16 |
.5702 |
3.0
|
| 3 |
広島 |
130 |
62 |
50 |
18 |
.5536 |
5.0
|
| 4 |
大洋 |
130 |
64 |
57 |
9 |
.5289 |
7.5
|
| 5 |
中日 |
130 |
53 |
71 |
6 |
.4274 |
20.0
|
| 6 |
阪神 |
130 |
41 |
80 |
9 |
.3388 |
30.5
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1978年主なタイトル・記録
| タイトル |
順 |
名前 |
記録 |
| 防御率 |
7
|
三沢淳 |
3.40
|
| 敗戦 |
1
|
堂上照 |
18
|
| 与死球 |
1
|
青山久人 |
12
|
| オールスター |
-
|
堂上照 |
-
|
| オールスター |
-
|
鈴木孝政 |
-
|
| オールスター |
-
|
木俣達彦 |
-
|
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中新監督は、杉下茂以来10年ぶりとなったチーム生え抜き監督。
目立った補強もなかったこの年。開幕の大洋3連戦は2勝1敗と勝ち越しスタートを切った。だが、その後高木守道が試合中に衝突し、全治4週間のケガをする。
その高木が復帰した直後に、大島康徳が死球で左手中指を骨折。続いて木俣が顔面に死球を受けて退場。谷沢がアキレス腱痛。井上が体調を崩すなど主力打者がごっそりと抜けた。
それでも6月末までは、鈴木孝政が7試合連続セーブを挙げるなどし、なんとか5割をキープしていた。
しかし、投手では星野が右肩を痛め、リリーフエース鈴木孝が右ひじを悪化させ、ほぼ後半戦は絶望となった。
8月初めに5位に落ちてからは二度と浮上することができなかった。
投手で2ケタ勝利を挙げたのは三沢(12勝)と鈴木孝(10勝)の2人だけ。星野は5勝、松本は6勝に終わった。
打線は迫力不足。その上故障者続出では満足に打線も組めなかった。
大砲がマーチン1人ではどうしようもなく、3割打者は0。チーム打率.252はリーグ最低。盗塁36は球団史上最少。
最多連勝も4連勝が2度あるだけであった。
この年の4月5日対広島戦(広島球場)で高木守道が高橋里志から三遊間安打してプロ入り2000本安打を達成。同7日対巨人戦(ナゴヤ球場)で通算2000試合出場を果たす。
ウェスタンリーグでは鈴木博昭が本塁打王(14)、早川実が最優秀防御率(0.99)を獲得した。
(コマンチ@管理人:2001/12/23)