| 1980年(昭和55年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
中利夫
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| 二軍監督 |
杉山悟
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| 開幕投手 |
藤沢公也
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| 観客動員数 |
1,397,000人
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1試合平均 |
21,492人
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1980年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
広島 |
130 |
67 |
50 |
13 |
.5726 |
-
|
| 2 |
ヤクルト |
130 |
59 |
54 |
17 |
.5221 |
6.0
|
| 3 |
巨人 |
130 |
59 |
57 |
14 |
.5086 |
7.5
|
| 4 |
大洋 |
130 |
61 |
60 |
9 |
.5041 |
8.0
|
| 5 |
阪神 |
130 |
58 |
62 |
10 |
.4833 |
10.5
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| 6 |
中日 |
130 |
48 |
69 |
13 |
.4103 |
19.0
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開幕戦から球団ワーストの6連敗したのがすべてであった。
前年新人王の藤沢公也は開幕戦から9連敗。初勝利を挙げたのが6月12日の阪神戦で、チーム44試合目であった。
結局1勝15敗、防御率5.27と完全に2年目のジンクスにはまり込んだ。
チームの最多勝は三沢淳の8勝。堂上、戸田が7勝。星野が6勝と先発陣は壊滅状態。チームに二桁勝利投手がいないのは2リーグ分裂後初であった。
打線もキャンプで成長したと言われた宇野勝が開幕前に故障。大島康徳も4月半ばに交通事故で戦線離脱。ギャレット、ジョーンズの両外国人も2人で12本塁打とお粗末な内容。
これではチームが勢いに乗れるはずもなく4連敗以上が実に8度。特に8月9日の広島戦からは10連敗と全くなすすべなしであった。
結局球団史上最低の勝率で12年ぶりの最下位となった。
唯一救いだったのが谷沢健一の復活である。
アキレス腱痛を「日本酒療法」で治し、この年復活した。
若松(ヤクルト)との激しいデッドヒートの末、.369の高打率で見事2度目の首位打者に輝いた。
また、9月23日対巨人戦で木俣達彦が2本塁打し、江藤慎一の持っていた球団通算本塁打268本を更新した。
ウェスタンリーグでは中田宗男が1.95で最優秀防御率のタイトルをとった。
シーズン終了後、中利男監督が退団。近藤貞雄が新監督に就任。
また、高木守道が現役を引退した。
(コマンチ@管理人:2001/12/23)