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野武士軍団の悲願達成~1982年シーズン列伝~

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1982年(昭和57年)-中日ドラゴンズ
監督 近藤貞雄
二軍チーフ 法元英明
開幕投手 小松辰雄
観客動員数 1,812,000人 1試合平均 27,877人
1982年選手名鑑 |  投手成績 |  打撃成績 |  入退団選手 |  日本シリーズ | 

チーム
1 中日 130 64 47 19 .5766 -
2 巨人 130 66 50 14 .5690 0.5
3 阪神 130 65 57 8 .5328 4.5
4 広島 130 59 58 13 .5043 8.0
5 大洋 130 53 65 12 .4492 14.5
6 ヤクルト 130 45 75 10 .3750 23.5

1982年主なタイトル・記録
タイトル 名前 記録
MVP - 中尾孝義 -
打率 2 田尾安志 .350
打率 5 モッカ .311
安打 1 田尾安志 174
出塁数 1 田尾安志 232
防御率 9 鈴木孝政 3.11
防御率 10 都裕次郎 3.14
ベストナイン 中尾孝義 -
ベストナイン 谷沢健一 -
ベストナイン 宇野勝 -
ベストナイン 田尾安志 -
ダイヤモンドグラブ 中尾孝義 -
ダイヤモンドグラブ 平野謙 -
得点 1 田尾安志 92
単打 1 田尾安志 132
犠打 1 平野謙 51
併殺打 1 谷沢健一 17
勝率 1 都裕次郎 .762
オールスター - 都裕次郎 -
オールスター - 郭源治 -
オールスター - 中尾孝義 -
オールスター - モッカ -
オールスター - 田尾安志 -

1982年主な先発オーダー
打順 守備 名前
1 9 田尾安志
2 8 平野謙
3 5 モッカ
4 3 谷沢健一
5 7 大島康徳
6 6 宇野勝
7 4 上川誠二
8 2 中尾孝義
9 1 都裕次郎

82年の優勝ほど劇的かつドラマチックなものはないだろう。
奇跡の逆転劇を見せ、最終戦130試合目で優勝を決めたこのシーズン。近藤監督は、感情を表に出し、抗議もいの一番に飛んで行く監督であった。
野武士集団の核を作り上げた監督。だが、このシーズン、スタートは決していいものではなかった。

まず開幕の広島戦。先発転向2年目のエース小松辰雄がメッタ打ちをくらい、2回途中に降板。しかも右太もも負傷でいきなり戦線離脱してしまった。
5月12日の阪神戦には藤沢、都、土屋がそろって1発を浴び、同月23日に仙台で行われた大洋戦では、9-6と3点差をつけた9回2死ランナーなしから鈴木孝政が長崎啓二にまさかの逆転サヨナラ満塁弾を浴びてしまう。
谷沢、大島といった主軸も前半戦は2割そこそこの打率しか打てず、チームが崩壊しかけたかに見えた。

しかし、この年は主軸を補って余りある若手が台頭してきた。
前年木俣と正捕手を争った中尾孝義は、鈴木-木俣バッテリーのサヨナラ被弾後、近藤監督の意向もあり完全にスタメンマスクに定着する。
6年目の平野謙もこの年デビュー。豊田誠佑の故障の間にスタメンを奪い取ってしまい、いきなり年間犠打記録(51、当時)を作ってしまう。
またこの年ドラフト外で入団した上川誠二は、長打こそないもののしぶといバッティングで、 5月7日巨人戦では、9回1死2,3塁で満塁策を嫌った江川からサヨナラ打を放った。

前半戦を首位巨人と1ゲーム差で折り返し、広島、巨人と3強で進んできたペナントも、8月に入り、広島が脱落。首位巨人と2位中日のマッチレースの様相を呈してきた。
8月15日の広島戦で、1-4とリードされた8回に宇野の逆転3ランで勝ち、後半戦初めて首位に立つことになる。

しかし、8月末の巨人3連戦。ひとつでも勝てば優位に運べると敵地に乗り込んだが、まさかまさかの3連敗。中日の善戦もここまでかと見られた。

9月に入り、巨人の残り試合20に対して中日は29。日程も厳しくなってくる。
が、巨人もここになってペースダウンし、中日残り試合20の時点で4ゲーム差の2位につける。

9月25日の阪神戦で奇跡が起きた。7回終了時点で3点のビハインド。ここで阪神は満を持して山本和行を登板してきた。山本はこの年最優秀救援投手に輝く阪神のリリーフエースである。
8回宇野の2ランで1点差。9回、田尾のセンター前、平野が送ってモッカの執念の内野安打で谷沢の同点タイムリー、続く大島も安打でまさかの逆転サヨナラ勝ちをしてしまった。

続く28日の巨人戦。中日にとって最後の首位天王山3連戦の初戦。巨人の先発は江川。8回までに江川の前に散発4安打。4点差で迎えた最終回。ここでまたもや奇跡が起きた。
代打豊田左前打。モッカ右前打。谷沢左前打で無死満塁。大島左犠飛。宇野右翼線2塁打。中尾右前打でまさかの同点。
10回裏。江川から変わった角からまたもや大島のサヨナラ打。この勝利によって中日に待望の逆マジック「12」が点灯した。

この後、復帰した牛島の4試合連続セーブなどでマジックを「1」まで減らし、シーズン最終試合の大洋戦を迎えた。

10月に入って13試合と、過密スケジュールの中の18日。最終戦。ここまでなんとかローテーションを支えてきた、鈴木、都、三沢、郭などは満身創痍で登板できる状態ではない。
だが、ここで先発志願登板したのが、開幕戦以来の先発マウンドにたった小松辰雄であった。
小松、金沢の両先発で始まったこの試合。2回谷沢の先制アーチのあとクリーンアップの連続タイムリーなどで8点をもぎ取り、投げては小松が散発の2安打完封で勝ち、8年ぶりの優勝を勝ち取った。

この最終戦にはもうひとつのドラマがあった。中日の核弾頭田尾と、大洋長崎との首位打者争いである。
優勝のかかった最終戦を迎え、田尾は.3501、長崎は.3510であった。この試合にヒットが1本でも出れば、田尾の首位打者が決まるという状況になったのである。
だがここで大洋バッテリーは田尾に対して5打席連続敬遠をしたのである。
最終打席、田尾は抗議の意も含め、カウント0-3からホームベースから遠く離れたボールに対してスイングをする。続く5球目もスイング。
だが、結局6球目はボールで、田尾の首位打者に9毛差の打率2位が決定した。

日本シリーズは、広岡達郎率いる西武となって初の優勝をしたライオンズが相手であった。
2-2で迎えた第5戦。両チーム無得点の3回。2死2塁から打席には平野。
平野の1塁線を抜けるタイムリー…は、1塁塁審の足に当たり2塁手山崎の前に転がり3塁を回っていた田尾は戻りきれずに憤死。
これがなければ結果も変わっていたかも、と思わせるこのシーズンの決定的シーンであった。
結局このまま2連敗し、西武の日本一が決まった。

またこのシーズン終了後。星野仙一と木俣達彦が現役を引退する。
ウェスタンリーグでは川又米利が.391の高打率で首位打者に輝いた。

(コマンチ@管理人:2001/10/14)