| 1983年(昭和58年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
近藤貞雄
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| 二軍監督 |
法元英明
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| 開幕投手 |
小松辰雄
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| 観客動員数 |
1,720,000人
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1試合平均 |
26,462人
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1983年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
130 |
72 |
50 |
8 |
.5902 |
-
|
| 2 |
広島 |
130 |
65 |
55 |
10 |
.5417 |
6.0
|
| 3 |
大洋 |
130 |
61 |
61 |
8 |
.5000 |
11.0
|
| 4 |
阪神 |
130 |
62 |
63 |
5 |
.4960 |
11.5
|
| 5 |
中日 |
130 |
54 |
69 |
7 |
.4390 |
18.5
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| 6 |
ヤクルト |
130 |
53 |
69 |
8 |
.4344 |
19.0
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開幕から勝ち星は伸びず、それでも4月は6勝7敗1分と5割前後を守っていたが、 5月に入ると、4日から5連敗、14日から3連敗、1つ勝ってまた3連敗、月末にまたもや5連敗と前年優勝の面影は全く消えうせてしまった。
後半戦に入ると3連勝を4度など上昇の兆しも見せたが、長続きしない。
9月中旬からはまた黒星が続き、10月は8連敗をするなど月間3勝12敗。
巨人の優勝が決まった10月11日にはシーズンが終わっていないにもかかわらず近藤監督が退陣し、来期の山内監督が決まるという異常事態。
かろうじて0.5ゲーム差で最下位は免れた。
なんといっても投手陣の崩壊が敗因であった。前年活躍の都、小松が大誤算。リリーフ牛島も精彩を欠き、郭と共にチーム勝ち頭は10勝であった。
打線は大島、谷沢、田尾は勢いを見せたが、中尾、宇野、モッカが不振で投手の穴を埋めるまでにはいかなかった。
ウェスタンリーグは、浜田一夫、近藤満が最高勝率のタイトルを分け合った。
(コマンチ@管理人:2005/03/13)