| 1984年(昭和59年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
山内一弘
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| 二軍監督 |
高木守道
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| 開幕投手 |
鈴木孝政
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| 観客動員数 |
1,908,000人
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1試合平均 |
29,354人
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1984年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
広島 |
130 |
75 |
45 |
10 |
.6250 |
-
|
| 2 |
中日 |
130 |
73 |
49 |
8 |
.5984 |
3.0
|
| 3 |
巨人 |
130 |
67 |
54 |
9 |
.5537 |
8.5
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| 4 |
阪神 |
130 |
53 |
69 |
8 |
.4344 |
23.0
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| 5 |
ヤクルト |
130 |
51 |
71 |
8 |
.4180 |
25.0
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| 6 |
大洋 |
130 |
46 |
77 |
7 |
.3740 |
30.5
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この年の打線はまさに恐竜打線であった。
本塁打王の37本宇野を筆頭に、谷沢34本、モッカ31本、大島30本とチームに30本塁打以上の選手が 4人いたのは1978年広島以来のリーグ記録。
さらに3年連続の最多安打の田尾を含む谷沢、モッカ、上川が3割を記録した。
肝心のシーズンは、広島との首位争いを演じた。
開幕10試合は3勝6敗1分だったが、その後6連勝すると開幕ダッシュに成功した広島をじわじわと追い込んでいった。
4月末の5ゲーム差が5月末には0.5ゲーム差。 6月23日から7連勝でゲーム差なし。 7月5日からまた5連勝で遂に奪首に成功した。
6月29日の大洋12回戦では恐竜打線が爆発し、毎回の25安打で毎回の22得点。本塁打も中尾3、宇野2、田尾、田野倉、金山の計8本の爆発ぶりであった。
8月に入ってもつばぜり合いは続き、8月末の天王山3連戦にも勝ち越し優勝も見えてきた。
その3連戦8月29日に広島山根から34号を打った宇野はこれで月間本塁打が15本とセリーグタイを記録した。
だが、9月に入ると投手陣が崩れだした。 2回戦から1分をはさみ14連勝と前半カモにしていた巨人に後半大事なところでやられたのが大いに響き、結局シーズンは2位に終わった。
本塁打王を掛布(阪神)と分け合った宇野であったが、10月3日、5日のシーズン最後の阪神戦。宇野、掛布ともに37本で迎えたこの2戦。お互いに2試合5打席計10打席すべてストレートの四球合戦。
チームメイトのタイトルのためとはいえ物議をかもし出した。
ウェスタンリーグでは栗岡英智が盗塁王を獲得した。
(コマンチ@管理人:2005/04/16)