| 1985年(昭和60年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
山内一弘
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| 二軍監督 |
高木守道
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| 開幕投手 |
小松辰雄
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| 観客動員数 |
1,802,000人
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1試合平均 |
27,723人
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1985年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
阪神 |
130 |
74 |
49 |
7 |
.6016 |
-
|
| 2 |
広島 |
130 |
68 |
57 |
5 |
.5440 |
7.0
|
| 3 |
巨人 |
130 |
61 |
60 |
9 |
.5041 |
12.0
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| 4 |
大洋 |
130 |
57 |
61 |
12 |
.4831 |
14.5
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| 5 |
中日 |
130 |
56 |
61 |
13 |
.4786 |
15.0
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| 6 |
ヤクルト |
130 |
46 |
74 |
10 |
.3833 |
26.5
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開幕しても昨シーズン暴れまわった打線は沈黙したまま。それでも投手陣の踏ん張りで1分を挟んで6連勝するなどし5月15日には首位に立った。
だが、今シーズンはそこまでだった。
5月18日に都裕次郎が左肩痛で登録抹消。続いて中尾孝義。 6月に入っても大島康徳、谷沢健一と立て続けに戦線離脱。
5月25日阪神戦で延長11回力投の小松が力尽きサヨナラ負けを喫すると、 2分を挟んで7連敗、Bクラスに転落すると二度とAクラスにあがることはなかった。
打線は開幕直前の田尾のトレードが影響したのか全く打順が安定しなかった。
4番候補の大島、谷沢の故障に加えモッカが極度の不振でシーズン途中に解雇。宇野が遊撃手のシーズン最多本塁打の41本を放つが、打率.274では安定感に欠けた。
こんな中、エースの小松辰雄が堂々のピッチング。最多勝、防御率、沢村賞とタイトルを総ナメにするも、後に続く投手がいまひとつ。牛島を途中から先発に回すなど台所事情も苦しく、不振の打線を補いきれず5位に終わった。
(コマンチ@管理人:2005/04/16)