| 1986年(昭和61年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
山内一弘
、高木守道
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| 二軍監督 |
井手峻
、新宅洋志
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| 開幕投手 |
郭源治
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| 観客動員数 |
1,760,000人
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1試合平均 |
27,077人
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1986年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
広島 |
130 |
73 |
46 |
11 |
.6134 |
-
|
| 2 |
巨人 |
130 |
75 |
48 |
7 |
.6098 |
-
|
| 3 |
阪神 |
130 |
60 |
60 |
10 |
.5000 |
13.5
|
| 4 |
大洋 |
130 |
56 |
69 |
5 |
.4480 |
20.0
|
| 5 |
中日 |
130 |
54 |
67 |
9 |
.4463 |
20.0
|
| 6 |
ヤクルト |
130 |
49 |
77 |
4 |
.3889 |
27.5
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開幕直後に4連勝し、スタートダッシュに成功したかに見えたが、 4月16日から7連敗し借金生活に突入。
それでも5月末までは5割前後を確保していたが、谷沢健一の衰え、大島康徳も好不調の波が激しく 8月15日に大島はプロ18人目の300号本塁打を打ったが中心選手としての責任は果たしきれなかった。
それ以上に大不振に陥ったのが宇野勝であった。
三塁へのコンバートからバッティングにも影響を及ぼし二度にわたる二軍落ち。
新外国人のゲーリーが36本を打ったが、大島、谷沢、宇野までもカバーするのは重荷過ぎた。
6月は5勝10敗3分と急降下。 7月5日に山内監督が休養解任。高木コーチが監督代理となった。
その後、7月末には4位まで浮上、8月も投手陣の踏ん張りで借金4まで盛り返すもここまで。鈴木孝政が二桁勝利手前で5連敗するなど9月は計算外が多く、最終試合で大洋に敗れ5位でシーズンを終えた。
その中での光明は平野謙であった。
核弾頭として盗塁王、ゴールデングラブ賞を獲得した。
(コマンチ@管理人:2005/04/17)