| 1988年(昭和63年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
星野仙一
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| 二軍監督 |
岡田英津也
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| 開幕投手 |
小松辰雄
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| 観客動員数 |
2,050,000人
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1試合平均 |
31,538人
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1988年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
日本シリーズ |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
中日 |
130 |
79 |
46 |
5 |
.6320 |
-
|
| 2 |
巨人 |
130 |
68 |
59 |
3 |
.5354 |
12.0
|
| 3 |
広島 |
130 |
65 |
62 |
3 |
.5118 |
15.0
|
| 4 |
大洋 |
130 |
59 |
67 |
4 |
.4683 |
20.5
|
| 5 |
ヤクルト |
130 |
58 |
69 |
3 |
.4567 |
22.0
|
| 6 |
阪神 |
130 |
51 |
77 |
2 |
.3984 |
29.5
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星野2年目もチームの改革は止まらなかった。
大島康徳を日本ハムに、平野謙を西武にそれぞれトレードに出す。ドラフトではPL学園の逸材立浪和義を獲得、捕手中尾は外野手に完全転向した。
開幕の大洋戦。小松がいきなり右ひじを痛め途中降板。この開幕カードは2勝1敗で勝ち越したが、直後から連敗が続き4月終了時点で5勝11敗の最下位。首位広島には8ゲーム差つけられていた。
5月に入って5連勝して最高7つの借金を返済する。
が、問題は4番落合の例年にない絶不調。たまりかねた星野監督は6月1日に落合を3番に降格する。
その6月は小野、小松、近藤がそれぞれ3勝ずつ。また、ケガが癒えた仁村徹の復帰が契機となり打線も上向き、 5連勝などで3位まで順位を上げた。
波乱は7月にあった。いきなりの6連敗で貯金を使い果たし4位転落。
相変わらず落合は大不振。 7月7日にプロ入り初、屈辱の6打数0安打を喫する。
だが、そこをすぐに盛り返せるのがこの年の中日であった。
7月9日のヤクルト戦、落合の2発などで10-9の乱打戦を制すると、そのまま6連勝。オールスターを挟んでまたもや6連勝とここにきて投打ががっちりかみ合いだした。 7月29日に奪首に成功する。
後半戦はヒーローが続出。 7月30日延長10回決勝本塁打、31日延長11回決勝タイムリー、 8月4日延長11回同点本塁打と奇跡的な快打を連発した彦野利勝。
8月3日には米村明が史上初の毎回被安打の完封勝利で踏ん張る。登板すれば勝つ不敗神話を築いた上原晃。米国から急遽帰国し無傷の5勝を挙げた山本昌広などである。
8月10日から7連勝で首位を確実のものとする。 8月31日に落合サヨナラ3ランでマジック25が点灯。落合は8月3本目のサヨナラ打で月間MVPを獲得する。
9月はじめに一度マジックは消えるがすぐに再点灯。 10月7日ナゴヤ球場のヤクルト戦でゴールテープを切るまで一気に走り抜けた。
今シーズンのサヨナラ勝ちは実に11回を数えた。また、8ゲーム差からの逆転優勝はセリーグ新記録(当時)である。
文句なしのMVPは郭源治。 37S、44SPともにプロ新記録(当時)。 1点差試合が34勝15敗と7割近い勝率のうち、郭は3勝18Sと大貢献であった。
移籍1年目の小野が最多勝。ルーキー立浪は新人王を獲得。立浪の高卒開幕戦スタメンは球界22年ぶりの快挙であった。
日本シリーズは全盛期の西武が相手。 1勝4敗と散々な結果に終わった。
敗因は5戦打点0に終わった落合と3本塁打の清原との両4番の差であった。
ウェスタンは2年連続、1軍とアベックのリーグ制覇。日本選手権は2年連続で巨人に屈する。上原晃が勝率10割、防御率1.81の2冠。斉藤学が10勝で最多勝を獲得。
(コマンチ@管理人:2005/06/11)