| 1990年(平成2年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
星野仙一
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| 二軍監督 |
福田功
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| 開幕投手 |
西本聖
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| 観客動員数 |
2,112,000人
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1試合平均 |
32,492人
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1990年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
130 |
88 |
42 |
0 |
.6769 |
-
|
| 2 |
広島 |
132 |
66 |
64 |
2 |
.5077 |
22.0
|
| 3 |
大洋 |
133 |
64 |
66 |
3 |
.4923 |
24.0
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| 4 |
中日 |
131 |
62 |
68 |
1 |
.4769 |
26.0
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| 5 |
ヤクルト |
130 |
58 |
72 |
0 |
.4462 |
30.0
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| 6 |
阪神 |
130 |
52 |
78 |
0 |
.4000 |
36.0
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絶頂期の斎藤雅樹がエースの巨人に独走を許したこのシーズン。中日ファンを魅了したのは、150キロ台の直球を武器に押さえの切り札としてフル回転した与田剛であった。
ドラフト1位でNTT東京より入団した与田は新人投手新記録の31セーブ、35セーブポイントをあげ、最優秀救援投手、新人王のタイトルをとったのである。
だが、チームの結果はあまりいいものではなかった。
当初はまずまずのピッチングをしていた投手陣も、打線が振るわず点が取れないため勝ちに見放され、4月19日の広島戦から7連敗を喫する。
その打線に引きずられるように投手陣も徐々に調子を落として行った。
西本、山本、小野が不調で、郭、小松も故障でリタイア。前半戦82試合中、初回に失点したゲームは実に32試合に上った。
落合は前半戦終了時点で打率、打点、本塁打ともに好位置につけ、両リーグにまたがる「三冠王」かと思われたが、8月下旬からヒットが出ず打率は急降下。本塁打、打点の2冠に終わった。
投手陣の崩壊はシーズン終盤まで響き、勝ち頭は西本の11勝であった。
また、ウェスタンリーグでは福田監督の元、2年ぶりの優勝に輝き、ジュニア選手権では巨人を破り、ファーム日本一となった。
陳義信が.857で最高勝率のタイトル。山崎武司が本塁打(17)、打点(54)ともに2年連続でタイトルを獲得した。
(コマンチ@管理人:2001/11/10)