| 1991年(平成3年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
星野仙一
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| 二軍監督 |
福田功
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| 開幕投手 |
小松辰雄
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| 観客動員数 |
2,090,000人
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1試合平均 |
31,667人
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1991年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
広島 |
132 |
74 |
56 |
2 |
.5692 |
-
|
| 2 |
中日 |
131 |
71 |
59 |
1 |
.5462 |
3.0
|
| 3 |
ヤクルト |
132 |
67 |
63 |
2 |
.5154 |
7.0
|
| 4 |
巨人 |
130 |
66 |
64 |
0 |
.5077 |
8.0
|
| 5 |
大洋 |
131 |
64 |
66 |
1 |
.4923 |
10.0
|
| 6 |
阪神 |
130 |
48 |
82 |
0 |
.3692 |
26.0
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前年新人王の与田が不調のこの年。代わりにドラの火消しに踊り出たのはドラフト5位で住友金属より入団した森田幸一であった。
また、音と山田を広島にトレードに出し獲得した長嶋清幸、シーズン中に同じくトレードで獲得した南牟礼豊蔵など、移籍で獲得した選手も台頭する。
開幕巨人戦。先発小松から6人の継投で勝利投手となったのは新人の森田。
開幕2戦目は西本が完投勝利と、幸先のよいスタートを切ったが、その後は振るわず勝ったり負けたり。
5月初めには落合が肉離れで戦線離脱。続いて西本も腰痛でダウンする。結局西本はこの年登板6、2勝に終わる。
この投打の軸が相次いで離脱したが、なんとか5割をキープしたのは、開幕勝利投手となった新人森田の存在であった。5月末の段階ですでに17試合に登板。4勝1敗5セーブの成績であった。
5月29日に落合が復帰すると、チームは待っていたかのように勢いを取り戻す。
6月は17勝3敗と脅威の数字で急上昇し、球宴前には首位を奪取する。
その後も勢いは衰えなかったが、8月下旬に黒星が目立つようになる。
9月に入ると状況は悪化し、一つ勝って連敗するパターン。
守っていた首位も9月10日にとうとう広島と代わって2位に転落。
前半戦好投をしていたアンダーソン、今中、山本昌といった主力も調子を崩し、森田の当初の勢いも薄れ、打線も1桁安打試合が続いた。
追い討ちをかけるかのように9月下旬には星野監督の辞任が発表された。
「俺は辞めるが、この5年間の総力を結集してくれ」(9月23日)の檄も首位奪還には遅かった。
森田が10勝3敗17セーブで中日から2年連続の新人王となる。
中日が6度目となる前半戦首位ターンもまたもや優勝できず。「首位ターンに優勝なし」のジンクスを破ることはできなかった。
ウェスタンリーグでは松永幸男が最高勝率、清水雅治が盗塁王を獲得した。
(コマンチ@管理人:2001/11/17)