| 1992年(平成4年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
高木守道
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| 二軍監督 |
福田功
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| 開幕投手 |
郭源治
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| 観客動員数 |
2,081,000人
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1試合平均 |
32,015人
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1992年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
ヤクルト |
131 |
69 |
61 |
1 |
.5308 |
-
|
| 2 |
巨人 |
130 |
67 |
63 |
0 |
.5154 |
2.0
|
| 2 |
阪神 |
130 |
67 |
63 |
2 |
.5154 |
2.0
|
| 4 |
広島 |
130 |
66 |
64 |
0 |
.5077 |
3.0
|
| 5 |
大洋 |
131 |
61 |
69 |
1 |
.4692 |
8.0
|
| 6 |
中日 |
130 |
60 |
70 |
0 |
.4615 |
9.0
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星野仙一の後を受けた高木守道監督の1年目。
開幕大洋2連戦はともに粘り勝ち。機動力を使った攻撃が目立ち、今後に期待と思われたが、開幕直後に立浪、ライアルがリタイア。続いて郭源治、挙句の果てにエース今中が打球を左手に受け投球不能。主力が相次いでリタイアした。
それでも4月は9勝10敗。5月は11勝10敗と五分の星をキープし、ペナントレースから取り残されることはなかった。
投手陣は小松辰雄、アンダーソン、山本昌を柱にローテーションを組んだ。
抑えは与田剛がフル回転。
打線も落合博満、宇野勝と5月中旬に獲得したパウエルがいい働きをし、上昇の兆しを見せる。
ところが、月末に落合が腰痛でダウン。6月に入ると完全に失速する。
また、宇野がチャンスに凡退を続け、高木監督の「宇野は使わない」発言が飛び出すなど、不振は深刻を極めた。
6月を終わった時点で借金は4であった。
7月に入っても状態は好転せず、12日に落合が登録抹消。 29日に復帰するも打棒は上昇しなかった。
8月にはさらに悪化し、借金は増えるばかり。今中が復帰初勝利を28日にやっと挙げるが、月間の借金が10。
9月に入ると見違えるように勝ち始めるが、時すでに遅し。
8日のヤクルト戦から6連勝するなどし、15勝7敗と別人のようだったが、ペナントレースの参戦にはならず、首位いじめに終始した。
チームは12年ぶりの最下位。
規定投球回クリアは山本昌、アンダーソンの二人。規定打席クリアも立浪、落合の二人だけ。規定クリアといってもタイトル争いには全く参戦できず、なんとも寂しいシーズンとなった。
だが、一軍とは裏腹に二軍はウェスタンリーグを制覇。
小森哲也が最高出塁率。小野和幸が最高勝率。五十嵐明が最優秀救援のタイトルを獲得した。
(コマンチ@管理人:2003/10/11)