| 1994年(平成6年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
高木守道
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| 二軍監督 |
島谷金二
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| 開幕投手 |
今中慎二
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| 観客動員数 |
2,063,000人
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1試合平均 |
31,738人
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1994年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
130 |
70 |
60 |
0 |
.5385 |
-
|
| 2 |
中日 |
130 |
69 |
61 |
0 |
.5308 |
1.0
|
| 3 |
広島 |
130 |
66 |
64 |
0 |
.5077 |
4.0
|
| 4 |
ヤクルト |
130 |
62 |
68 |
0 |
.4769 |
8.0
|
| 4 |
阪神 |
130 |
62 |
68 |
0 |
.4769 |
8.0
|
| 6 |
横浜 |
130 |
61 |
69 |
0 |
.4692 |
9.0
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最多勝左腕を2枚擁する投手陣はなにも問題はない。課題は4番落合博満の抜けた打線であった。
だが、看板の1枚目今中慎二を立てた開幕横浜戦はエースが4失点で敗戦。続く2戦目も鶴田泰がKOで完封負け。不安だらけの連敗スタートとなった。
しかし、打線は効率よくつながり、投手陣も4月月間MVPの山本昌が踏ん張る。4月は11勝7敗の2位につけた。
落合の穴は一塁は大豊泰昭、4番はパウエルが埋めたが結果は対照的であった。
4月は.328、5本塁打の大豊に対し、パウエルは打率.211で4番の重圧に苦しんだ。
5月に入ると4日のヤクルト戦から4連敗。貯金を使い果たす。絶対的な抑えが存在せず、小島弘務が代役を務めるも力不足は明らかであった。
それでも19日のヤクルト戦から4連勝。借金生活に陥ることはなかった。
5月30日に首位巨人に1.5ゲーム差につけ、迎えた31日からの直接対決2連戦。
だが、初戦は延長10回に北野勝則が松井にサヨナラ被弾。2戦目は山本昌で惨敗。あと一歩が足りなかった。
6月になると今中が復調の兆しを見せる。
大豊は19日の広島戦で15号を放ちセリーグのトップに立ち、パウエルも徐々に調子をあげ、打率を3割台に乗せた。このTP砲は他球団の脅威であった。
しかし、投打がうまくかみ合わない。 16日のヤクルト戦に敗れ借金2。首位巨人とのゲーム差が10.5の3位となった。このゲーム差が今季最悪であった。
だが、翌日は山本昌-今中のリレーで勝利し、前半戦を終了。山本昌10勝。今中9勝1S。大豊はこの試合で21,22号を連発。キング独走の態勢を固めた。
後半戦も一進一退が続くが、8月11日のヤクルト戦から4連勝し、迎えた16日からの巨人3連戦。が、ここで1勝2敗。3戦目を今中で落とし巨人にマジック25が点灯した。
気落ちしたチームはそのまま8連敗。4位に転落する。
また、この頃から来期は星野仙一という噂も立ち始める。
だが、粘る中日は30,31日の巨人線を連勝し、マジックを消滅させた。
9月半ばからも脅威の粘りをみせ、18日ヤクルト戦から9連勝。
28日の直接対決で郭源治の完封で1-0の勝利をあげ、とうとう巨人と並ぶ。
この試合で郭源治は100勝を挙げた。
この後は巨人とのマッチレースの様相を呈する。 10月6日阪神戦で10-2の大勝。山本昌は19勝目で最多勝を確定。
この日、巨人はヤクルトに負け、69勝60敗で並んだ両チームは史上初の最終戦同率決戦を迎えることとなる。
後々語り継がれることとなる「10.8決戦」。先発した今中が落合を含む3被弾をし、3-6で敗戦。涙をのんだ。
だが、タイトル争いは中日の独壇場であった。パウエルが初の首位打者。大豊が2位ブラッグス(横浜)に本塁打3本、打点16の差をつけた二冠王。郭源治が最優秀防御率。山本昌が2年連続の最多勝と沢村賞を獲得した。
(コマンチ@管理人:2003/10/11)