| 1996年(平成8年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
星野仙一
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| 二軍監督 |
正岡真二
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| 開幕投手 |
今中慎二
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| 観客動員数 |
2,079,000人
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1試合平均 |
31,985人
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1996年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
130 |
77 |
53 |
0 |
.5923 |
-
|
| 2 |
中日 |
130 |
72 |
58 |
0 |
.5538 |
5.0
|
| 3 |
広島 |
130 |
71 |
59 |
0 |
.5462 |
6.0
|
| 4 |
ヤクルト |
130 |
61 |
69 |
0 |
.4692 |
16.0
|
| 5 |
横浜 |
130 |
55 |
75 |
0 |
.4231 |
22.0
|
| 6 |
阪神 |
130 |
54 |
76 |
0 |
.4154 |
23.0
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5年ぶりに復帰した星野仙一監督は韓国の至宝、ヘテ・タイガースの抑えの切り札宣銅烈を獲得し、一気に優勝候補の一角にのし上がった。
4月5日、開幕の広島戦で早くも宣が登板。同点にされるも2回で4奪三振。 10日の阪神戦では初セーブ。16日には巨人戦初登板初勝利。
しかし、単調な投球が欠点として表面化。この初勝利も3点差を同点にされていた。
そして、調整不足もあってか、20日には登録抹消。再登録は5月末まで待たなければならなかった。
それを補ったのが中山裕章であった。4月は失敗なしの4セーブ。投手陣の崩壊を防いだ。
しかし、4月貯金5の2位の原動力はなんといっても打線である。
本塁打34本は2位阪神に14本差。得点114は2位横浜に17点差。大豊泰昭は早くも9本。山崎武司、コールズが7本と続き、 11日の阪神戦では17安打16得点の爆発ぶりだった。
5月1日の巨人戦でガルベスの顔面付近への投球に怒った山崎がマウンドに詰め寄り、それがきっかけで大乱闘。
それが原因というわけでもないだろうが、5月に入っても勢いは止まらなかった。
山本昌が故障から復帰、16日には完封勝利をおさめた。
5月も貯金を3増やし首位をキープ。大豊は.365、9本20打点で月間MVP。中山も5Sを挙げた。
山崎・大豊の六・七番コンビの破壊力はすさまじく、今中慎二しか完投能力がない投手陣は大いに助けられた。
だが、6・7月はいまいち調子があがらない。
6月1日の巨人戦は戻ってきた宣がメッタ打ちにあい、続く2日は山本昌が力投するも競り負け。
27日の広島戦は山崎の満塁弾で6-2と勝ち越すも、9回表に立浪のエラーから5失点で逆転負け。
ホームランでは得点できるがタイムリーが出ず、肝心なところでの勝負弱さも目立つようになる。
6月、7月はともに負け越した。
だが、山崎のバットは依然好調で、5月の大豊に続き6月は月間MVP。打率.403、13本33打点は文句なし。
そのおかげか、大幅に落ち込むこともなく、7月終了時点で首位広島に4差の2位。
8月は若手投手が台頭してくる。
3年目遠藤政隆が中継エースとして毎試合のように登板。ルーキー門倉も2日の巨人戦に完封勝利。後半戦だけで7勝を挙げた。そして極めつけは11日の巨人戦。4年目の野口茂樹がノーヒットノーランを達成する。
9月は1日から5連勝と好スタート。貯金を6稼いだ。
10月も4連勝のスタート。
巨人は残り中日戦2試合。中日は巨人戦2試合と阪神戦1試合。のこり3戦全勝すれば同率プレーオフ。この状態で迎えた10月6日ナゴヤ球場の巨人戦。 2-5で破れ、涙を呑んだ。
また、この試合は長年ドラゴンズの本拠地であったナゴヤ球場のラストゲームでもあった。
球場最後のドラマは巨人長嶋監督の胴上げであった。
星野監督の「世界一のグラウンド」のコメントを残し、その幕を下ろした。
パウエルが外国人選手として初の3年連続首位打者を獲得。
打力抜群のドラゴンズであったが盗塁数36は緒方(広島)一人にも及ばない12球団最低。
100失策はリーグ最低であった。
ウェスタンリーグでは金森隆浩が最多勝を獲得した。しかしシーズン最終戦の阪神戦に先発するもプロ野球史上初のイニング2満塁被弾という不名誉な記録を献上した。
(コマンチ@管理人:2003/05/04)