| 1998年(平成10年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
星野仙一
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| 二軍監督 |
仁村徹
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| 開幕投手 |
山本昌
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| 観客動員数 |
2,537,000人
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1試合平均 |
37,866人
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1998年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
横浜 |
136 |
79 |
56 |
1 |
.5852 |
-
|
| 2 |
中日 |
136 |
75 |
60 |
1 |
.5556 |
4.0
|
| 3 |
巨人 |
135 |
73 |
62 |
0 |
.5407 |
6.0
|
| 4 |
ヤクルト |
135 |
66 |
69 |
0 |
.4889 |
13.0
|
| 5 |
広島 |
135 |
60 |
75 |
0 |
.4444 |
19.0
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| 6 |
阪神 |
135 |
52 |
83 |
0 |
.3852 |
27.0
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ドーム元年の昨年は本塁打、得点の激減により最下位に転落。広いドーム野球に適応するために星野監督は機動力を高めることを選択した。
阪神から構想にマッチした関川、久慈を、韓国のイチローと言われた李鍾範をヘテから獲得。また、投手陣はドラフト1位で星野の後輩、明大の川上憲伸を獲得した。
4月3日の開幕戦は山本昌で落としたものの、2戦目、3戦目はともに1点差でモノにする。両試合とも宣がセーブ。3戦目はリリーフした落合に勝ちがついた。この接線を逃げ切る必勝パターンが確立されたときでもあった。
川上は9日阪神戦で初登板初先発初勝利。同じルーキーの正津も貴重な中継ぎとして戦力になった。
打線も李が絶好調。4月は打率.337の5位。盗塁もダントツの10個。ゴメスも打率は伸びないものの6本塁打でリーグトップ。結果4月は14勝9敗の2位で終えた。
だが5月に入ると負けが込んでくる。
ゴメスが左ヒザ痛で休みがち、山本昌、今中も波に乗り切れず、4月25日にLGから入団したサムソンも制球力がなく戦力にならない。
打線も点が取れず、5月は完封負け4。阪神川尻には26日にノーヒットノーランを献上。投手陣がなんとか踏ん張り5月は9勝10敗であった。
6月に入るとますます打線は湿りだし、この月は完封負け6を喫する。
23日には川尻から右ヒジに死球を受けた李が全治3ヶ月で戦線離脱。ゴメスも28日に左ヒザ痛で登録抹消。打線状態は深刻であった。
だが、川上が3勝するなど投手陣の踏ん張りもあり、10勝10敗の五分でこの月を終える。
7月に入ると投手陣は絶好調で13勝7敗とチームも快調。川上はこの月も3勝を挙げ、月間MVPを獲得した。
8月もその快調は続き、首位横浜に3ゲーム差で迎えた21日からの横浜3連戦。初戦は落としたものの、2戦目、3戦目は快勝。2ゲーム差まで詰め寄った。
3戦目で勝ち投手となった野口はこれで横浜戦負けなしの5連勝。 27日には1ゲーム差まで迫った。
しかし、9月4日からの首位攻防天王山横浜3連戦。山本昌、野口をぶつけるもあっさりと3連敗。この3試合で4得点ではいかに投手がよくても勝てるものではない。この後横浜には優勝決定まで7連敗を喫した。
投手陣は野口の最優秀防御率。川上は14勝で新人王。チーム防御率3.14は12球団トップであったが、打線はリーグ5位の.248。リーグトップの盗塁91を生かしきることはできなかった。
ウェスタンリーグでは有働克也が10勝で最多勝を獲得した。
(コマンチ@管理人:2003/07/21)