| 1999年(平成11年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
星野仙一
|
| 二軍監督 |
仁村徹
|
| 開幕投手 |
川上憲伸
|
| |
| 観客動員数 |
2,541,000人
|
1試合平均 |
37,368人
|
1999年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
日本シリーズ |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
中日 |
135 |
81 |
54 |
0 |
.6000 |
-
|
| 2 |
巨人 |
135 |
75 |
60 |
0 |
.5556 |
6.0
|
| 3 |
横浜 |
135 |
71 |
64 |
0 |
.5259 |
10.0
|
| 4 |
ヤクルト |
135 |
66 |
69 |
0 |
.4889 |
15.0
|
| 5 |
広島 |
135 |
57 |
78 |
0 |
.4222 |
24.0
|
| 6 |
阪神 |
135 |
55 |
80 |
0 |
.4074 |
26.0
|
|
昨年の12球団一の防御率にパの最多勝武田一浩を加え、盤石の投手陣。開幕前より優勝候補の筆頭であった。
その投手陣に打線ががっちりとかみ合い、開幕カード(広島)は完投投手なし本塁打なしだが3連勝を飾る。
続く横浜3連戦は、初戦に武田完封、中村2ホーマーと快勝。その勢いで3タテを食らわし6連勝。
7戦目は今季初遠征の甲子園での阪神戦。井上のタイムリーで延長戦を制し、セリーグ及び球団の36年ぶり開幕連勝タイ記録。
続くヤクルト3連戦は、乱打戦あり、武田の連続完封ありで3タテし、これで10連勝。
続く巨人戦を6-1でモノにし、プロ野球タイ記録の開幕11連勝を記録した。
この時点で、チーム打率は.315。ホームランは6本ながら得点67はもちろんリーグ1。投手陣も負けていない。チーム防御率は脅威の1.53。投手10傑の上位4人を独占する。
その勢いで4月は16勝6敗のハイペース。井上一樹は恐怖の7番打者として、開幕21試合連続安打と活躍する。
だが、5月に入ると4月の勢いがなくなってくる。
5月8日に広島佐々岡にノーヒットノーランを喫したのに始まり、武田の不振、川上の中継ぎ降格、落合のスランプ、サムソンのケガなど投手陣にほころびが出始めた。
6月はさらに不振が続き、5日から5連敗。とうとう阪神に首位の座を明渡すこととなる。
6月後半になると不振だった投手陣にも光明が見え始め、武田、野口、川上が完封勝利を挙げ、チームの勢いも上がり始める。
7月に入ると完全に4月の勢いを取り戻し、7月2日のヤクルト戦から野口の2完投を含む破竹の8連勝。ルーキー岩瀬が中継ぎの柱として確立。復帰したサムソンが中継ぎに回ったことも大きかった。
打線では関川が3割4分前後の高打率をキープ、ゴメスも好機に本塁打を放ち、チーム打率は低いが得点能力は高かった。
前半戦は50勝33敗の首位で折り返すこととなる。
8月のヤマ場は2位巨人との17日からの3連戦であった。
初戦、巨人のルーキー上原に完全に押さえられ敗色濃厚であったが、9回代わった抑えの槙原を攻め、関川のサヨナラ打で逆転勝ち。
2戦目は武田-落合-サムソン-宣の必勝リレーで快勝。3戦目は0-5から追いつき延長12回に渡辺のサヨナラ打で3タテを食らわし、巨人とのゲーム差7.5となりペナントの趨勢はほぼ決まったと言ってよかった。
8月24日には球団史上最速のマジック27が点灯する。
だが、9月に入ると勢いが鈍った。4日の広島戦で福留がサヨナラ落球するなどし、14日からの巨人戦に連敗するとゲーム差1.5まで詰め寄られた。
だがここから3連勝して窮地を脱し、21日の広島戦から8連勝し一気に優勝を決めた。
実質的な優勝決定試合は26日、ナゴヤドーム最終戦の阪神戦であった。
武田・川尻の両先発で始まったこの試合。2-1で迎えた9回表、1人1殺の落合、岩瀬がそろって安打を打たれ、満を持して登板した宣銅烈がジョンソンにまさかの逆転3ランを打たれる。
しかし、ドラマはここから始まった。9回裏1死後、ゴメスの左前、立浪の右前で1、2塁。迎えた6番山﨑が右中間スタンドへ特大逆転サヨナラ3ランを放った。
打った瞬間手を天に突き上げたシーンはファンの脳裏に焼きつき、迎えた星野監督の目には涙が浮かんでいた。
日本シリーズの相手は2年連続優勝の王ダイエー。だが、中日はあっけなく1勝4敗で敗れ、日本一の栄冠をつかむことはできなかった。
また、中日の歴史上、前半戦首位ターンすること7度目にして始めてリーグ優勝を果たし、「首位ターンに優勝なし」のジンクスを破ることになる。
ウェスタンリーグでは筒井壮が首位打者を獲得した。
(コマンチ@管理人:2002/08/08)