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屈辱の優勝決定戦~2000年シーズン列伝~

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2000年(平成12年)-中日ドラゴンズ
監督 星野仙一
二軍監督 仁村徹
開幕投手 野口茂樹
観客動員数 2,479,500人 1試合平均 37,007人
2000年選手名鑑 |  投手成績 |  打撃成績 |  試合一覧 |  入退団選手 | 

チーム
1 巨人 135 78 57 0 .5778 -
2 中日 135 70 65 0 .5185 8.0
3 横浜 136 69 66 1 .5111 9.0
4 ヤクルト 136 66 69 1 .4889 12.0
5 広島 136 65 70 1 .4815 13.0
6 阪神 136 57 78 1 .4222 21.0

2000年主なタイトル・記録
タイトル 名前 記録
打率 6 山﨑武司 .311
打率 7 立浪和義 .303
防御率 2 山本昌 2.61
防御率 4 バンチ 2.98
勝利 1 バンチ 14
セーブポイント 1 ギャラード 36
リリーフポイント 1 岩瀬仁紀 26.20
奪三振 2 バンチ 168
投球回 1 バンチ 184.0
与四球 1 バンチ 77
失点 1 野口茂樹 99
カムバック賞 - 種田仁 -
オールスター - 岩瀬仁紀 -
オールスター - バンチ -
オールスター - 山﨑武司 -
オールスター - 立浪和義 -
オールスター - ゴメス -

2000年主な先発オーダー
打順 守備 名前
1 8 関川浩一
2 7 李鍾範
3 6 福留孝介
4 5 ゴメス
5 4 立浪和義
6 3 山﨑武司
7 9 井上一樹
8 2 中村武志
9 1 バンチ

宣銅烈、サムソンの退団で苦戦が予想されたこの年。4月からその予想は的中してしまった。

開幕戦を昨年MVPの野口で落としたことから始まり、先発陣がことごとくKO。信頼できるのはバンチのみという状態。野口に至っては4月に1勝もできなかった。
打線も昨年以上に迫力を欠き、ゴメスが4月は打率.178の大不振。新外国人のディンゴもまるで打てず、関川も不振とあって4月終了時点でチームは最下位。
4月7日の横浜戦でバンチがノーヒットノーランを達成したのがせめてもの救いであった。

5月に入るとゴメスがようやく打ち始め、急遽補強したギャラードがストッパーとして十分に役目を果たし、チームも上昇気流に乗り始めた。
その上昇気流をより強固なものとしたのが、5月6日の横浜戦であった。7回立浪の打席でのストライクの判定の抗議で、星野監督、立浪、大西の3人が橘高球審への暴力行為により退場処分となった。
暴力行為自体は許されるべきではないが、ナインが危機意識に目覚めたのは確かであった。

5月10日からの10連勝で一気に奪取。4月とは別人のようなゴメスは月間MVPも獲得する。
6月9日巨人戦での四球出塁から代打で11打席連続出塁の種田仁も明るい話題の一つであった。

だが、夏場になると先発陣がピリッとせず、正津、前田幸を先発に回すなど、ローテーションも崩れはじめる。岩瀬-ギャラードの必勝パターンが確立されているため踏みとどまっている状態であった。

首位巨人とのゲーム差6.5で迎えた9月1日からのナゴヤドームでの巨人3連戦。
野口、前田幸、バンチとベストの先発陣をぶつけたのだが、なんと3試合で29失点。
巨人にマジックが点灯し、実質的にここで終戦となった。

だが、外国陣勢には結果を出さなければ来期はない、と思ったかどうかは定かではないが、ギャラードは9月に10試合8セーブの荒稼ぎでタイトルを確実にし、バンチも9月に4勝し、最多勝を手元に引き寄せた。

そして、あの9月24日、東京ドームでの巨人最終戦。
目の前での胴上げを阻止したい中日は前田幸の好投で9回表終わってスコアは4-0。胴上げは明日以降に持ち越しと思われたが、ギャラードが江藤にまさかの満塁被弾。二岡にサヨナラ被弾され、目の前での胴上げの屈辱を味わうこととなった。

また、防御率1位(2.610)にてシーズンを終えた山本昌だったが、ヤクルト石井一久に最終戦にて抜かれ(2.606)タイトルを逃すこととなる。

ウェスタンリーグでは仁村徹監督の元、7年ぶりの優勝を果たし、ファーム日本選手権でもイースタンの覇者巨人を破り、10年ぶりの日本一となった。
原田政彦が首位打者、高橋光信が打点王、佐野重樹が最優秀救援のタイトルを獲得した。

(コマンチ@管理人:2002/08/07)