| 2000年(平成12年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
星野仙一
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| 二軍監督 |
仁村徹
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| 開幕投手 |
野口茂樹
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| 観客動員数 |
2,479,500人
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1試合平均 |
37,007人
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2000年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
135 |
78 |
57 |
0 |
.5778 |
-
|
| 2 |
中日 |
135 |
70 |
65 |
0 |
.5185 |
8.0
|
| 3 |
横浜 |
136 |
69 |
66 |
1 |
.5111 |
9.0
|
| 4 |
ヤクルト |
136 |
66 |
69 |
1 |
.4889 |
12.0
|
| 5 |
広島 |
136 |
65 |
70 |
1 |
.4815 |
13.0
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| 6 |
阪神 |
136 |
57 |
78 |
1 |
.4222 |
21.0
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宣銅烈、サムソンの退団で苦戦が予想されたこの年。4月からその予想は的中してしまった。
開幕戦を昨年MVPの野口で落としたことから始まり、先発陣がことごとくKO。信頼できるのはバンチのみという状態。野口に至っては4月に1勝もできなかった。
打線も昨年以上に迫力を欠き、ゴメスが4月は打率.178の大不振。新外国人のディンゴもまるで打てず、関川も不振とあって4月終了時点でチームは最下位。
4月7日の横浜戦でバンチがノーヒットノーランを達成したのがせめてもの救いであった。
5月に入るとゴメスがようやく打ち始め、急遽補強したギャラードがストッパーとして十分に役目を果たし、チームも上昇気流に乗り始めた。
その上昇気流をより強固なものとしたのが、5月6日の横浜戦であった。7回立浪の打席でのストライクの判定の抗議で、星野監督、立浪、大西の3人が橘高球審への暴力行為により退場処分となった。
暴力行為自体は許されるべきではないが、ナインが危機意識に目覚めたのは確かであった。
5月10日からの10連勝で一気に奪取。4月とは別人のようなゴメスは月間MVPも獲得する。
6月9日巨人戦での四球出塁から代打で11打席連続出塁の種田仁も明るい話題の一つであった。
だが、夏場になると先発陣がピリッとせず、正津、前田幸を先発に回すなど、ローテーションも崩れはじめる。岩瀬-ギャラードの必勝パターンが確立されているため踏みとどまっている状態であった。
首位巨人とのゲーム差6.5で迎えた9月1日からのナゴヤドームでの巨人3連戦。
野口、前田幸、バンチとベストの先発陣をぶつけたのだが、なんと3試合で29失点。
巨人にマジックが点灯し、実質的にここで終戦となった。
だが、外国陣勢には結果を出さなければ来期はない、と思ったかどうかは定かではないが、ギャラードは9月に10試合8セーブの荒稼ぎでタイトルを確実にし、バンチも9月に4勝し、最多勝を手元に引き寄せた。
そして、あの9月24日、東京ドームでの巨人最終戦。
目の前での胴上げを阻止したい中日は前田幸の好投で9回表終わってスコアは4-0。胴上げは明日以降に持ち越しと思われたが、ギャラードが江藤にまさかの満塁被弾。二岡にサヨナラ被弾され、目の前での胴上げの屈辱を味わうこととなった。
また、防御率1位(2.610)にてシーズンを終えた山本昌だったが、ヤクルト石井一久に最終戦にて抜かれ(2.606)タイトルを逃すこととなる。
ウェスタンリーグでは仁村徹監督の元、7年ぶりの優勝を果たし、ファーム日本選手権でもイースタンの覇者巨人を破り、10年ぶりの日本一となった。
原田政彦が首位打者、高橋光信が打点王、佐野重樹が最優秀救援のタイトルを獲得した。
(コマンチ@管理人:2002/08/07)