| 2001年(平成13年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
星野仙一
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| 二軍監督 |
仁村徹
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| 開幕投手 |
山本昌
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| 観客動員数 |
2,421,000人
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1試合平均 |
34,586人
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2001年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
ヤクルト |
140 |
76 |
58 |
6 |
.5672 |
-
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| 2 |
巨人 |
140 |
75 |
63 |
2 |
.5435 |
3.0
|
| 3 |
横浜 |
140 |
69 |
67 |
4 |
.5074 |
9.0
|
| 4 |
広島 |
140 |
68 |
65 |
7 |
.5113 |
8.5
|
| 5 |
中日 |
140 |
62 |
74 |
4 |
.4559 |
16.0
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| 6 |
阪神 |
140 |
57 |
80 |
3 |
.4161 |
21.5
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山田久志ヘッド兼投手コーチは「投手力は99年より充実している」と自信を見せていたが、何とか勝負になっていたのは前半戦まで、貧打線をカバーしてきた投手陣に疲れが見え始めると一気に順位も転落していった。
開幕前から不吉な予感はあった。FAで加入の川崎憲次郎はオープン戦で故障。結局戻ってくることはなかった。
開幕の広島2連戦は山本昌、野口で連勝するが、外国人勢に不安があった。
アンローは全く戦力にならず、ゴメスの代わりとして獲得したティモンズも1発なし、打率1割台では使い物にならない。開幕8試合目には4番に大豊を据えた。
さらに昨年限りで退団したゴメスにも再オファー、4月28日に再登録。それに先立って20日には波留敏夫を横浜から獲得するなど、打線のテコ入れを行いどうにか上位に踏みとどまった。
その中でも李鍾範が退団を申し入れ帰国。小池秀郎もトレード志願などチーム内のドタバタが士気に影響した。
4月を終え、13勝13敗1分の3位ながら3割打者はなし。月間MVPを受賞した野口らの投手陣だけが頼りであった。
5月に入って5日より6連勝。そのうち先発の勝ちが5勝。ギャラードも5セーブと投手陣は依然として頑張りを見せるも、連勝中の打線は1試合平均3.8。
日替わり打線では苦しいのは明らかだった。
6月は横浜に連続完封負け、阪神に3タテを食らうなどし貯金を使い果たす。
前半戦終了時点で38勝44敗2分の3位。しかし勝利数優先の順位によるもので、勝率では下に阪神しかいなかった。
打撃不振の責任を取る形で水谷実雄コーチが退団。福留の外野コンバートなど、建て直しを図るも改善の兆しはなかった。
7月27日からの広島戦はバンチ、山本昌、野口で3連勝するも、続くヤクルト、巨人の上位陣には5連敗。この時点で勝率1位のヤクルトとは14ゲーム差の4位となった。
8月14日からナゴヤドームで巨人、ヤクルトを迎えての6連戦。井端、荒木ら新戦力の活躍で全勝するなど上昇気流に乗りかけたかに見えたが、それでも上位陣の壁は厚かった。
優勝が絶望となった8月以降は上位陣からは全く勝てず、広島、阪神といったBクラス陣に勝って順位を保つのが精一杯の状況。
朝倉健太、中里篤史ら若手を先発に立てるも勝ちはつかず。9月25日には星野監督が辞任を発表した。
だがナインにはそれがショックだったのか、29日からは今季最長の7連敗。最後まで浮上することはなかった。
野口茂樹がタイトルを獲得するも、打者陣は打率16位に立浪が入るのが精一杯であった。
ウェスタンリーグでは小山伸一郎が10勝で最多勝を獲得した。
(コマンチ@管理人:2003/05/02)