| 2002年(平成14年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
山田久志
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| 二軍監督 |
大橋穣
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| 開幕投手 |
山本昌
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| 観客動員数 |
2,404,000人
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1試合平均 |
34,300人
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2002年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
巨人 |
140 |
86 |
52 |
2 |
.6232 |
-
|
| 2 |
ヤクルト |
140 |
74 |
62 |
4 |
.5441 |
11.0
|
| 3 |
中日 |
140 |
69 |
66 |
5 |
.5111 |
15.5
|
| 4 |
阪神 |
140 |
66 |
70 |
4 |
.4853 |
19.0
|
| 5 |
広島 |
140 |
64 |
72 |
4 |
.4706 |
21.0
|
| 6 |
横浜 |
140 |
49 |
86 |
5 |
.3630 |
35.5
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キャンプで故障したエース野口茂樹の復帰のメドがないまま迎えた開幕。山本昌と朝倉健太で連敗。続く巨人戦は初戦に快勝するも第2、3戦は2試合続けて延長10回での敗戦。
4月6日に朝倉がプロ初勝利も次は連敗。その後も連勝して連敗と、いまいちかみあわず、 26日からは5連敗。山本昌は開幕投手でひとり勝ち星なし。
相変わらずの貧打は続き、谷繁ひとりが本塁打を量産していた。
だが、5月に入ると一転。2試合連続完封勝ちと朝倉のプロ初完投で3連勝のスタート。
8日のルーキー山井の初勝利からは一気に8連勝。打線の調子も上がり、首位巨人に3.5ゲーム差まで迫った。
6月2日に山本昌がファームより復帰し初勝利。6日の巨人戦は川上が無傷の4勝目。11日からの阪神戦では谷繁の2ホーマーなどで連勝。
4位ながらも上位4チームが2ゲーム差の中にひしめき合う混戦模様。 16日には山井が無傷の3勝目を挙げる。
だが、6月20日のヤクルト戦に敗れ、カモにしていた横浜にも連敗。好調だった小笠原、朝倉、山井での3連敗は痛かった。小笠原はこの時点で5勝していたが、結局この後は勝ち星を挙げられなかった。
そして27日の広島戦からは7連敗。好投すれば打てず、二桁安打を続ければ投手陣崩壊の悪循環。
7月10日にはゴメスが帰国し、急遽立浪を4番に据えた。
それでも首位巨人とのゲーム差は9.5に開き、前半戦を終えた。
後半戦は朝倉のプロ初完封から始まるが、連勝すれば連敗の繰り返しは直らず、7月19日からのナゴヤドーム巨人戦は3連敗。
30日からの東京ドーム巨人連敗も阪神に連勝した直後。この時点で巨人戦9連敗のチームワーストタイ。
その悔しさを一気に爆発させたのが、8月1日巨人戦の川上憲伸のノーヒットノーランだった。
この試合は谷繁の通算1500試合出場のおまけつき。
だが、そこからまた4連敗してしまうから始末が悪い。
7月中旬に入団したキューバの至宝リナレスも三振ばかりが目立ち、本塁打1本で8月7日からは欠場。同日にバンチも体調不良で入院してしまった。
チーム状態は決してよくなかったが、皮肉にも巨人にマジックが点灯するとチームは勝ち出していく。
ようやく打ち出した打線が牽引し、8月10日から6連勝。23日から1分をはさむ4連勝。
久々にBクラスを脱出し3位に浮上した。
しかし、優勝争いには加われず、チームの命題はAクラス確保と二つのタイトルに変更する。
8月に4勝で月間MVPの川上は巨人桑田との防御率争いを演じる。
10月2日の阪神戦で好投し、一時は桑田を抜きトップに立ったが、4日に再び抜き返された。
10日の阪神戦。5回を自責点0に抑えればタイトル獲得も、自責点3で涙を呑んだ。
もうひとつのタイトルは三冠王を狙う巨人松井と熾烈な首位打者争いを続けた福留である。
9月始めには2分以上の差があった打率だが、 22日の横浜戦で2安打を放ち、福留.336、松井.339の3厘差。巨人優勝後の25日は福留.3378、松井.3382の4毛差。
そして10月6日の横浜戦。4打数3安打で6厘差をつけ、残り2試合の松井の三冠王は事実上絶たれた。
結局打率.343。松井には9厘差をつけた堂々たる首位打者だった。
ギャラードが2年ぶりに最優秀救援投手のタイトルを獲得。
だが、特筆すべきは後半戦4番に座った立浪である。
自己最多、リーグ3位の92打点でチームを牽引し続けた。
ウェスタンリーグでは矢口哲朗が10勝で最多勝、小山伸一郎が15SPで最優秀救援投手賞を獲得した。
(コマンチ@管理人:2003/05/02)