| 2004年(平成16年)-中日ドラゴンズ |
| 監督 |
落合博満
|
| 二軍監督 |
佐藤道郎
|
| 開幕投手 |
川崎憲次郎
|
| |
| 観客動員数 |
2,330,500人
|
1試合平均 |
34,272人
|
2004年選手名鑑 |
投手成績 |
打撃成績 |
試合一覧 |
入退団選手 |
日本シリーズ |
| 順 |
チーム |
試 |
勝 |
負 |
分 |
率 |
差 |
| 1 |
中日 |
138 |
79 |
56 |
3 |
.5852 |
-
|
| 2 |
ヤクルト |
138 |
72 |
64 |
2 |
.5294 |
7.5
|
| 3 |
巨人 |
138 |
71 |
64 |
3 |
.5259 |
8.0
|
| 4 |
阪神 |
138 |
66 |
70 |
2 |
.4853 |
13.5
|
| 5 |
広島 |
138 |
60 |
77 |
1 |
.4380 |
20.0
|
| 6 |
横浜 |
138 |
59 |
76 |
3 |
.4370 |
20.0
|
|
前年シーズン終了後、空席となった監督に就任したのは、落合博満であった。
「現状から10%底上げすれば優勝できる」と断言。1年間のトレード封印を掲げ、キャンプ初日に紅白戦を行うなど常識に囚われない「オレ流」は賛否両論。一番のサプライズは開幕投手に3年間一軍登板のない川崎憲次郎を送り込んだことである。
この奇襲には批判もあり、実際川崎はその開幕戦で2回5失点でKOされてしまうものの、打線が奮起し5点差から逆転勝利を飾る。
続く2戦目、3戦目も野口茂樹、川上憲伸で獲り、開幕3連勝と上々のスタートを切った。
だが今シーズンは救援投手に不安があった。
岩瀬仁紀はキャンプ中の左足中指骨折から無理矢理開幕に合わせて来たこともあり、開幕1ヶ月を経て防御率が6点台。落合英二、バルデスも故障で出遅れ。4月は10勝10敗1分の五分の星で終えた。
5月に入っても救援陣の不安から勝ちパターンが作れず苦戦。
3日からのヤクルト戦に3タテを食らい、続く阪神戦に勝つもまたも3連敗、 11日には最下位に転落した。この時点でチーム打率、本塁打はリーグ最低、防御率は5位であった。
セリーグは全チームが単独首位と単独最下位を経験するなどまれに見る大混戦である。
そのペナントレースを抜け出す勢いをつけたのが、エース川上である。 15日の横浜戦で、13奪三振の完封に加え、自らの決勝2ランで勝利。落合監督に「昔の大エースの仕事」と言わしめたこの試合を境に、チームは好転。月末まで10勝2敗の快進撃で一気に奪取する。
また、5月7日に開幕から続いていた井端-荒木の打順を荒木-井端に組み替えたことも上昇気流に乗った要因となった。
6月最初は巨人戦で3タテを食らい2位転落するものの、22日からの札幌3連戦はお返しの3タテ。 2戦目は14得点、3戦目は11得点と2試合連続2桁得点で圧勝。再び首位に返り咲いた。
その3タテを含み20日からは7連勝。貧打線といわれる中、6月は打線が爆発した。
特に立浪和義は5,6月の連続月間MVP、6月の打率は.430、得点圏打率も一時5割を超えるなど打ちまくった。
この頃になると抑え役の岩瀬にも例年の頼もしさが戻ってきており、前半戦を終えて貯金11、2位巨人に4.5ゲーム差の首位で折り返した。
後半戦に入り、アテネ五輪のため4番福留孝介と抑えの岩瀬が離脱する。
だが、代役が見事にはまりチームは踏ん張りを見せる。
岩瀬の代役は抑えの実績もある平井正史が務め、福留の穴は英智が鉄壁の守りで見事に埋めた。
二人の活躍などで各球団が五輪で主力を欠く8月にも貯金を3増やし首位をがっちりキープ。
五輪組が戻る9月にはラストスパートと思われていた9月1日阪神戦。戻ったばかりの福留が下柳からの死球を受け左手人差し指骨折で今季絶望という最悪の事態に陥った。
しかし、英智が続けてしっかり代役を果たし、また落合監督も動じず白星を積み重ねていった。
優勝が見えてきた中、「オレ流」は再び注目を浴び始める。
9月12日広島戦ではジャンケンで先発を勝ち取った山井大介が719日ぶりの完封勝利。
26日の横浜戦では320試合連続救援登板中の落合英二を先発。5回無失点の好投で7年ぶりの先発勝利。
打線でも森章剛、高橋光信が勝負どころでのホームランなど、やる事成す事すべてが追い風となった。
選手会のストライキによる中止試合があり、暫定で25日に点灯したマジック4は3連勝であっという間に1に減り、この間に代替試合も行わないことが決定。迎えた10月1日。満員のナゴヤドームで敗れはしたものの巨人も敗れ優勝が決定した。
胴上げには二軍選手やスタッフも参加、落合監督は5度宙に舞った。
川上、山本昌、ドミンゴで40勝するなど投手王国の名に恥じぬ安定感が光ったが、なんといっても抜群の守備力が優勝の要因であった。
チーム45失策は2000年のヤクルトを抜いてリーグ最小記録を更新。
荒木井端の二遊間は合わせて失策10しかなく、加えてシーズン失策0の英智らを含め、史上初のゴールデングラブ賞に6人が選出された。
日本シリーズはプレーオフを勝ち抜いた西武が相手だった。
3勝3敗までもつれ込んだものの50年ぶりの日本一はならなかった。
ファームも後期優勝から近鉄との決定戦に勝利、日本選手権も日本ハム相手に3点差から9回裏に4点を取る劇的なサヨナラ勝ちで日本一を決めた。
(コマンチ@管理人:2005/01/15)