龍のホームベースを守った男たち~ドラゴンズ捕手列伝~

ドラゴンズの捕手のイメージはみなさんどんなものを持っているだろう。
最近で言えば、中尾、中村のイメージが強いか、 それとも木俣のようないかにも捕手というイメージだろうか。
私個人的には、ドラの捕手は守備より打の捕手ってイメージが強い。 江藤、木俣、中尾、中村、谷繁・・。(もちろんみな守備もすばらしいのだが)
みなさんの捕手論はどうでしょう?

ドラの歴代主力捕手
名前在籍年度
ハリス36
三浦敏一37~41
服部受弘39~41
野口明49~54
河合保彦52~54、55~56、57~58
吉沢岳男53~56、57~61
江藤慎一59~61、62、63~
小川敏明60~62、63~64、65
高木時夫61~74
木俣達彦64、65~66、67、68~80、81~82
新宅洋志66、67、68~78
金山仙吉(卓嗣)70~85
中尾孝義81~87、88
大石友好85~91
中村武志85~87、88~01
山中潔90~91
矢野輝弘91~97
鈴木郁洋98~02
谷繁元信02~
在籍年度の太字は年間チーム最多試合マスク
戦前のドラゴンズの捕手は初期はハリス、後期は41年に本塁打王を獲得し、 後に投手転向もした服部受弘であったが、なんと言っても 名捕手と言われたのは三浦敏一であった。
日大を中退して入団。線の細い選手であったが、 インサイドワークは抜群で、スローイングコントロールもピカイチ。 強肩も巨人吉原と並ぶ球界トップクラスであった。 ただ、打棒はあまり期待できるものではなかった。

戦後になってドラゴンズの本塁を守ったのは野口明である。
49年に阪急より移籍し、6年間中日に在籍した後、監督を2年務めた。 ベテランの野口は投手の自主性に任せるリードが基本線。 杉下なども野口とバッテリーを組んだことにより成長を遂げた。
6年間の在籍中にオールスター4回、ベストナイン2回はすばらしい成績であった。

54年の日本一。エース杉下のフォークを取り続けたのが河合保彦である。
58年暮れに監督就任した杉下が特に惜しんだのが、このとき西鉄への移籍が決まった 河合の放出であった。

代わって捕手を務めたのが吉沢岳男。 その後、江藤慎一が本塁を守っていたときもあったが、 ドラゴンズの捕手の歴史の中で欠かすことのできない木俣達彦が登場する。
いかにも捕手タイプのずんぐりした体型でバットを肩に担いだ姿から「マサカリ打法」 と呼ばれた。

木俣に遅れること3年。新宅洋志が入団し、リードは 「強気の新宅、弱気の木俣」と言われ、併用された時期もあったが、 打力の差が木俣を本妻として確立することとなる。
木俣は19年間本塁を守りつづけ、タイトルこそ取れなかったものの打率、打点、本塁打ともに コンスタントに10傑に顔を出し、ベストナインも5回獲得した。

この木俣が守り通してきたドラゴンズのホームベースを奪い取ったのが中尾孝義だった。 木俣とは全くタイプが違い、小柄な体に俊足巧打強肩のスピード捕手として名を売り、 82年の優勝にはMVPとなった。

が、中尾は故障が多かった。それに不安を覚えたフロントは中村武志を84年に ドラフト1位で入団させる。
88年の優勝時には、中尾が外野にコンバートされたことも幸いし、正捕手に定着。 その後中村は中日の本塁を10年以上守りつづけている。

また、2000年のシドニーオリンピックには鈴木郁洋が日本の正捕手として出場し、 松坂(西武)らをリードしたが、惜しくもメダルには届かなかった。

ちなみに山崎武司も捕手での入団である。

中村武志の衰えも無視できない年となったが、 中村が現役でいる間に 歴代の龍捕手を継ぐ名選手を育てることが ドラとしての課題になるのではないだろうか?
ポスト中村は鈴木?清水?それとも・・・

と、思っていたら横浜の谷繁がFAで2001年12月の暮れに入団してくる。
追い出されるかのように中村は横浜へ金銭トレードに出された。
ドラフトでも前代未聞の1,2位で捕手を獲得する。
2位入団の田上は即戦力候補。鈴木、清水、柳沢とともに誰が2番手として 浮上してくるだろうか。

2003年、谷繁の怪我による登録抹消で正捕手として浮上してきたのは、中野栄一であった。 現時点ではまだ合格点は与えられそうにないが、スクランブルでの出場。 経験を積んで谷繁を脅かす存在になってもらいたいものである。

(コマンチ@管理人:2001/09/30)
(コマンチ@管理人:2002/03/10修正加筆)
(コマンチ@管理人:2003/04/26修正加筆)
(コマンチ@管理人:2004/04/04大幅修正加筆)