戦場に散った選手~太平洋戦争の悲劇~

2003/3/6にリカコさんに掲示板にて依頼を頂きまして調べたことに追加してコラムを作成しました。
昨今イラク戦争もありましたが、戦争というものはやはり嫌なものです。
日本も戦争に突入し、暗い時代がありました。
油の乗り切った当時のプロ野球選手たちも儚く命を落としていきました。
もちろんその中にはドラゴンズの歴史を塗り替える力を持った選手もいたのです。
今回はそんな選手を取り上げて見ました。


村松 幸雄
戦前No1投手の呼び声も高い。
掛川中時代は甲子園に出場。
1メートル80センチから投げ下ろす速球は打者の手元でグンと伸びた。
きわどいコントロールが抜群で2年目には21勝13敗の好成績。
当時のエースナンバー「18」をつけていた。
通算成績は実働3年間で、38勝26敗、防御率1.26

42年2月応召。
豊橋陸軍予備仕官学校に入り、43年満州を経て、44年3月グアムに渡り、7月25日戦死。

戦前は他球団にいて、対戦していた坪内道典は 「もし生きていれば、戦後もチームのエースで投げまくっていただろうに・・」 と惜しんでいた。


石丸 進一
佐賀商から遊撃手として入団した。
2年目にキャンプで当時の本田監督が強靭な腰のバネと力強い球筋を見込んで、 投手をやらせてみると、その年いきなり17勝。
翌年も20勝を挙げた。
持ち味はキレのよい速球で、打者を手玉に取った。
投手実働2年間で、37勝31敗、防御率1.45。
43年10月にはノーヒットノーランも達成。
その年12月に応召。45年5月11日に特攻隊員となり南方洋上の花と散った。

村瀬 一三
享栄商(現・享栄高)時代は2年連続選抜に出場。
38年に名古屋入団。
ショートを守ったが、確実なプレイヤーであった。
派手さはないが、小回りが利き、野球にもひた向きに打ち込んだ。
戦死日はわかっていないが、南方に散った。


その他のドラゴンズ在籍戦死選手
遠藤 忠二郎 後藤 正 白木 一二 中村 三郎 前田 喜代士

他球団の在籍戦死選手(一部)
沢村栄治(巨人) 景浦将(阪神) 鬼頭数雄(大東京-ライオン) 西村幸生(阪神)
中河美芳(イーグルス) 吉原正喜(巨人)。。。。。


上記の村松投手に関する本が出ています。
名古屋軍、野球、というくくりだけではなく、 戦争の話としてもぜひ読んでいただきたい一冊です。

戦場に散ったエース~投手村松幸雄の生涯~
著/進藤昭
同時代社
ISBN/4-88683-325-X


(コマンチ@管理人:2003/05/10)