島岡イズムの継承~中日明大出身者列伝~

東京六大学の一角。明治大学。
過去のプロ野球明大出身者は約170人。 そのうち40人強がドラゴンズに在籍したことのある選手である。
実に明大出身者の25%がドラゴンズのユニフォームに袖を通したことになる。

1989年4月11日。明大野球部監督島岡吉郎が他界した。 「オヤジ」と呼んで慕っていた星野仙一は人目もはばからず泣いた。
島岡監督はルールを重んじ、人間形成を重んじる監督であった。
星野のみならず、後に大成するたくさんの選手がここで学んだのである。
その島岡の下からプロに巣立っていった選手のうちドラゴンズ在籍選手には、 その星野を含めて、一枝修平、高橋三千丈、豊田誠佑、武田一浩などがいる。
他球団選手には秋山、土井、近藤和(大洋)、平田(阪神)、広沢(ヤクルト) 高田、鹿取(巨人)などがいる。

その島岡時代以前にも明大出身者は数多くいた。
戦前には初代首位打者の中根之、 監督としてチームを率い、後に「なんと申しましょうか」の名解説で一世風靡した小西得郎。
戦後には日本一の監督となった天知俊一、 エース清水秀雄、 中京商時代は3連覇、明大では4連覇した杉浦清、野口明、 2番打者として活躍した原田徳光、 4番を打った児玉利一、 天知が才を見抜き引き抜いた杉下茂、 代走のスペシャリスト山崎善平、 中日の選手で後に巨人V9の名コーチとなった牧野茂、 選手としては大成しなかったが、1960年には大石清(広島)のノーヒットノーランを止めた 9回一死からの二塁打、近年球団調査役となりリナレス獲得に奔走した横山昌弘など そうそうたるメンバーである。

ここ最近のメンバーでは、鳥越裕介、筒井壮、柳沢裕一などがいる。

ドラゴンズの各時代には必ずと言っていいほど明大出身者がいた。 伝統の島岡イズムを継承し、期待がかかるのは 川上憲伸、小笠原孝、前田新悟あたりだろうか。

これからも有望な明大出身者を見つけ出し、 ぜひ次代のドラゴンズ中核選手を育てて欲しいものである。

(コマンチ@管理人:2003/07/06)
(コマンチ@管理人:2004/02/20加筆修正)