元エースの復活に向けて~川崎憲次郎ファーム記録~

2000年12月17日、FA宣言をした球界屈指の右腕がドラゴンズに入団した。
阪神・新庄剛志と共に移籍を視野にいれたFA宣言。 かつての沢村賞投手、 川崎憲次郎である。
巨人戦通算勝利は当時現役選手で最多。 背番号もドラゴンズのエースナンバー「20」が与えられた。
前年は8勝に終わったが、まだまだ老け込む年ではなく、 球団は3年契約で名古屋に呼び寄せた。
巨人キラーはまだまだ健在であろうと誰もが思った。

ヤクルト12年間で88勝80敗。常にローテーションの一角を占めるエースであり、 98年には最多勝に加え、沢村賞を獲得。 その栄光からはまだ2年半しか経っていなかった。

その川崎は満を持して2001年3月14日の近鉄とのオープン戦に登板するも 右上腕三頭筋の違和感を覚え途中降板した。
開幕前に付き物の怪我のニュース。 とファンは感じた。
だが、パリーグの開幕戦の前日の23日、セリーグの開幕まではまだ1週間を残すこの日、 怪我の状態が悪く長期欠場が濃厚となることが発覚した。

結局この年、2001年は一軍登板はゼロ。
ファームの登板試合も1試合のみ。 5月12日のナゴヤ球場でのサーパス戦で先発したが、 2回7人に投げたのみであった。

そしてこのシーズン終了後、1億円あった川崎の年棒は2億円へとアップし、 未登板ながらチーム内日本人選手最高年棒者となる。
リスクを考慮していなかった契約の不備だろうが、 契約してしまった以上実行するわけであり、 球団にとっては今後の契約を考えさせられる痛い出費であっただろう。

川崎中日ファーム登板試合一覧
年月日相手球場
2001.05.12サーパスナゴヤ2720
2002.05.06阪神鳴尾浜21354
2002.05.21広島由宇31665
2002.05.29阪神鳴尾浜51941
2003.05.17阪神ナゴヤ2600
2003.06.11広島由宇21044
2003.06.25近鉄藤井寺51821
2003.07.04阪神ナゴヤ62782
2003.07.25近鉄ナゴヤ62561
2003.07.31サーパス北神戸523103
2003.08.10近鉄四日市62463
2003.08.16阪神ナゴヤドーム52383
2003.08.23サーパスナゴヤ31665
2003.09.05広島ナゴヤ5.22774
2003.09.13サーパスナゴヤ52152
2003.09.21広島由宇42277
2003.09.29ダイエーナゴヤ525112
翌2002年も3月18日時点で投球再開には至っておらず、 開幕は絶望であることが明らかになる。
そのままこの年も一軍登板はゼロ。
ファームの登板試合も3試合のみであった。

翌2003年も川崎の状態は変わらなかった。
また、一軍登板がないにもかかわらず オールスターのファン投票では心無いファンの嫌がらせにより、 投手先発部門の1位となる。
川崎は7月2日にコミッショナー事務局に選抜辞退を提出する事態にまで発展し、 今後の投票のあり方に一石を投じることとなった。

だが、ファームには13試合に登板。 大量失点試合が目立つが、状態は少しずつ回復にある。

監督も変わった2004年。 落合監督の「オレ流」で行われたキャンプ初日の紅白戦。
「真っさらなマウンドで投げてほしい」という思いを込めて 先発に指名された川崎は、1イニングを打者3人に抑え、結果を残した。

今年は現時点では順調にキャンプ、オープン戦を消化している川崎。
3月3日ダイエーとのオープン戦は4回を被安打4失点1。 MAXは142km。決め球のシュートも格の違いを見せ付けるなど好投した。

川崎にとって背水の陣の今シーズン。 過去3年とは明らかに違うキャンプとオープン戦。
今年こそは背番号「20」の勇姿をファンに見せて欲しいものである。

(コマンチ@管理人:2004/03/14)