竜の守護神たち~抑え投手列伝~

日本プロ野球にセーブが制定されたのが1974年。 セリーグに最優秀救援投手賞(セーブポイント)が制定されたのが1976年。
リリーフ投手が脚光を浴び始めてから中日は リーグを代表するストッパーを輩出してきた。
チームからの最優秀救援投手は制定以来29年で大洋・横浜に並ぶ最多の7回。 最多セーブは31年でリーグ最多の11回である。
年度別最多セーブ
名前S
1974星野仙一10
1975鈴木孝政21
1976鈴木孝政26
1977鈴木孝政9
1978星野仙一14
1979小松辰雄16
1980鈴木孝政12
1981小松辰雄11
1982牛島和彦17
1983牛島和彦7
1984牛島和彦29
1985牛島和彦8
1986牛島和彦16
1987郭源治26
1988郭源治37
1989郭源治25
1990与田剛31
1991森田幸一17
1992与田剛23
1993郭源治17
1994小島弘務8
1995郭・中山4
1996中山裕章14
1997宣銅烈38
1998宣銅烈29
1999宣銅烈28
2000ギャラード35
2001ギャラード29
2002ギャラード34
2003大塚晶文17
2004岩瀬仁紀22

1974年初代のセーブ王は星野仙一であった。 49試合中32試合が救援登板。15勝中8勝が救援勝利、10セーブで優勝に貢献した。
翌年からは先発に回ったが、セーブ制定前も主にリリーフでの登板。 1971年~73年は34勝中24勝がリリーフ勝利とまさに大車輪の活躍であった。

2年後に制定された初代の最優秀救援投手は鈴木孝政であった。
26セーブ、救援勝利6勝の32SPでタイトルを獲得。 この1976年は鈴木が獅子奮迅の活躍。主にリリーフながら規定投球回を投げ、 最優秀防御率のタイトルも獲得した。

その後もドラゴンズに抑え不在と言われる年は数えるほどしかなく、 伝統として球界を代表するリリーフ投手を擁立してシーズンを戦ってきた。

鈴木孝政の後を受けリリーフエースとなったのは小松辰雄である。
スピードガンの申し子と呼ばれたその速球はいかにもストッパー向きであった。

小松の後を受けたのが牛島和彦である。84年にはリーグ最多セーブ。
1987年に落合とのトレードでロッテへ移籍となってしまうが、 移籍先でも救援タイトルを獲り、逃げないピッチングは健在であった。

星野新監督が牛島移籍後不在となったストッパーに指名したのは郭源治であった。
それまで先発で10勝するが10敗する投手が、この配置転換で化けた。 1988年には当時記録の44SPでリーグ優勝に大きく貢献しMVPを獲得したのである。


セーブ制定以前にも抑え投手はいた。
日本の抑え投手の走りは「8時半の男」読売・宮田征典と言われるが、 (この宮田は1998年まで中日の投手コーチである) 球界で最初に投手分業制を提唱したのは中日投手コーチであった近藤貞雄 と言われている。
近藤が目をつけたのが板東英二であった。 1964年からリリーフに起用すると、すぐさま結果を残す活躍をすることとなる。 以後1967年までリリーフエースの座を守った。
板東の通算77勝のうち50勝が救援勝利である。

板東以前の時代、先発完投全盛の時代はチームのエースが同時に リリーフエースでもあった。 先発にリリーフに文字通り大車輪の大エースである。
杉下茂は歴代9位のリリーフ82勝を記録している。
また、権藤はほぼ実働の2年間の65勝中救援勝利は16勝である。 「権藤権藤雨権藤」は噂でも誇張でもなく実際にそうだったのである。


1990年代前半に中日のストッパーに名を連ねたのは、若き二人のルーキーであった。
一人目は与田剛。 1990年ルーキーながら150kmの剛速球で守護神に抜擢。 オールスターにはファン投票1位で選出。35SPを挙げ新人王を獲得した。
二人目は森田幸一。 1991年2年目のジンクスにはまり込んだ与田に代わって抜擢されたルーキーは 開幕戦に勝利投手となり、最終的に10勝17Sで堂々の新人王であった。
二人とも華々しく登場したものの長く続かなかったことが唯一悔やまれる点である。

1996年に入団した抑えの切り札・韓国の至宝、宣銅烈。 1年目は8SPと期待外れに終わったが、 ナゴヤドーム元年の翌年はリーグトップタイの38SP。 続いて32SP、29SPと本領を発揮。1999年の優勝に大きく貢献した。 佐々木(横浜)の全盛期と重なり3年連続リーグ2位のセーブポイントは 不運であったが、貢献度は抜群であった。

優勝後引退した宣の後は翌シーズンイン直前まで決定しなかったが、 2000年開幕前日に入団決定し、初登板を4月14日に果たしたギャラードが、 抜群の安定感でシーズン途中入団ながらタイトルを獲得した。
また、2002年もタイトルを獲得する。
だが、ギャラードは首脳陣との確執から2003年シーズン途中に横浜へ移籍する。
ここで幸運にもこの年移籍の近鉄守護神大塚晶文が見事に代役を果たす。

そして2004年、中継ぎエースの岩瀬仁紀を満を持してストッパーに指名。 しっかりと結果を残した。

救援投手という点においては球界のパイオニア的存在のドラゴンズ。 恐竜打線、投手王国など時代においてチームの華は違っているが、 絶対的な守護神が存在するという伝統は受け継いでいって欲しいものである。

(コマンチ@管理人:2005/04/16)