エースナンバー~背番号20列伝~

背番号事典   <<19    21>>
名前 ポジション
三浦敏一 1937 捕手
梅本政夫 1938 外野手
岩本章 1939~1947 外野手
杉下茂 1949~1960 監督
権藤博 1961~1968 投手
渡部司 1970 投手
星野仙一 1971~1982 コーチ兼投手
小松辰雄 1984~1994 投手
宣銅烈 1996~1999 投手
川崎憲次郎 2001~2004 投手
中田賢一 2005~2013 投手
野村亮介 2015~2017 投手
読売のエースナンバー18に対してかどうかはいざ知らずドラゴンズのエースナンバーである「20」
投手として杉下茂が背負って以来、ドラゴンズのエースが代々背にしてきた。

49年に杉下が明大から入団。「20」を背負い8勝をあげる。翌50年の27勝から6年連続のチーム勝ち頭。文字通り大車輪の活躍で54年の日本シリーズを制し、59~60年は監督を務める。

その杉下の「20」を継いだのが、61年に入団した権藤博であった。
その背番号に負けることなくその年35勝を挙げ投手タイトルを総なめ。
翌年も30勝を挙げるが、投手生命は実質4年で尽き、その後は内野の控えとして活躍するが実質8年で現役生活を終える。

70年はこの年ドラフト2位の渡辺司に「20」が背負われるが、1年で3年目星野仙一に渡される。
その後引退するまで星野はエースナンバーを背負いつづけた。

欠番を1年置き、次のエースは7年目の小松辰雄である。
エースナンバーをつけた小松は後に最多勝等のタイトルを取ることになる。
その小松も94年に引退し、背番号を変えてコーチになると、またも1年欠番が生じる。

96年に新しく「20」を背負ったのが、韓国ナンバー1ストッパー宣銅烈である。
宣は4年間で100以上のセーブポイントを挙げ、99年の優勝では胴上げ投手となる。

またまた1年欠番の後、ヤクルトよりFAで川崎憲次郎を獲得。
01年は故障のため登板は0であった。

川崎には今までのエースに負けない、「20」に恥じない活躍を期待したいものである。

(コマンチ@管理人:2001/11/24)